ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄【中山康樹】

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄


書籍名 ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄
著者名 中山康樹
出版社 河出書房新社(242p)
発刊日 2005.3.19
希望小売価格 1680円(税込み)
書評日等 -
ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

ピアニスト、ビル・エヴァンスの演奏に出会ったのは40年程前のことで、その頃はアルバムがリリースされても輸入版は高価で、新譜はジャズ喫茶かラジオ放送に頼って聴いていたものだった。

そんなことで、ディスコグラフィー的にはかなり知識は有しているし、時代背景も同時代的に進行していたのでそれなりの理解はしていたつもりだが、エヴァンスの幼年期を含めて生涯の音楽活動と周辺の動きを網羅した本書を読んで、そんなこともあったのかと再認識させられる事柄も多く、エヴァンスの人となりを活写していて、新たなエヴァンス像を想起させられた部分も多い。

序章でエヴァンスを理解する手がかりとして、「パブリック・イメージと実像に著しい落差」を挙げている。エヴァンスの言葉として「私は音楽に対してはシリアスだが音楽以外のことについてはルーズな人間だと思う。・・・レコード会社やマスコミは、笑っていないシリアスな表情の写真を使いたがる。理由は私にもわからない。そうした繰り返しでイメージが定着したのだと思う。」

また、「曲名に潜むエヴアンスの特性」も指摘している。アナグラムにより命名されたものが多いがその一例。「(Yet Never Broken)という曲名はエヴァンスをお得意様としていたドラッグの売人の名前にちなんだアナグラムである。・・もっともそれが誰かということは重要ではない。悪癖を断ち切れないまま、それでも「自分は壊れていない」と綴ったアナグラムにこそ、エヴァンスがもっていた自虐的な面があらわれている。」

以降、時代ごとのエピソードが展開されていく。学生時代・朝鮮戦争時の徴兵といった各時代の活動を経て、1958年にはマイルス・デビスのグループへの参加を果たすが、たった7ケ月で脱退する。理由は、エヴァンスがグループの中でもっとも重度のドラッグ常習者だったことや、グループ内の音楽性の相違、特にエヴァンスとジョン・コルトレーンとの音楽性は相容れなかったとも言われている。

その後、1959年末にポール・モチアン、スコット・ラファロと出会い「ポートレイト・イン・ジャズ」がリリースされる。しかし、このトリオはレギュラー・トリオとして活動するには経済的にも難しく、エヴァンスにもその力はなかった。そのため、各々が他のグループとの演奏活動を並行的に続ける中で、「あの日曜日」が来ることになる。

1961年6月25日、二週間のヴレッジ・ヴァンガード出演の最終日にライブ・レコーディングが急遽行われた。日曜日だったのでマチネーがあり、本来、対グループとして出演していたランバート・ヘンドリックス & ロスが入る部分も全てエヴァンス・トリオが演奏し、マチネーで2ステージ、本セッションで3ステージの23曲が収録された。そしてこの11日後にラファロは交通事故で急逝してしまう。この録音から「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」が発売される。

「このアルバムには次の6曲が収録されている。グロリアズ・ステップ、ジェイド・ヴィジョンズ、マイ・マンズ・ゴーン・ナウ、ソラー、不思議の国のアリス、オール・オブ・ユー。・・この6曲にはエヴァンスの明確な意思が反映されており、エヴァンスにとってはこのライブから2枚目のアルバムを作成するつもりは無かったことを逆説的に物語る。・・・選曲の基準は二つあった。まずはラファロ追悼の視点。ラファロのガールフレンドであったダンサーのグロリア・ゲイブリエルにちなんだ「グロリアズ・ステップ」と「ジエイド・ヴィジョンズ」はラファロの作曲であり、6曲中の2曲をあてた。・・・何よりもラファロに対する強い追悼の念があった。・・もちろんその背景にはラファロの書いた曲を収録することによって発生する印税を遺族が受け取れるようらとの配慮があった。一曲を温存せず、二曲とも収録したことでエヴァンスはこの録音から2枚目のアルバムは想定していなかった。・・・トリオとしての視点から見ると、エヴァンスは残りの4曲を過去のトリオとしての2アルバム、それ以外の2アルバムに収録していない曲を選択している。つまり、このライブ・アルバムをトリオとしての3枚目のアルバムと認識し、追悼盤であると同時に純然たる新作として捉えていた。・・・」

だが、10ケ月後にこのライブ・レコーディングからエヴァンスの当初の意図に反し、もう一枚のアルバムがつくられる。「ワルツ・フォー・デビー」である。結果的に「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」はあまり芳しい売れ行きを示さなかったが、グラミー賞にノミネートされた。こうしたことから続編というコンセプトを一切出さず、エヴァンスの選曲でなくアルバムはつくられた。6曲中3曲は過去エヴァンスがリバーサイドで録音したものと同曲を収録した。結果、著名な曲を加えたと同時に、ジャズ・アルバムらしからぬジャケット・デザインで好セールスをあげたといわれている。

当時のプロデューサーであるキープニュースの言葉が紹介されている。「レコードというものは人生を2回生きる。一回目はそのレコードが発売された時代。二回目の人生はその後の時代におとずれる。だがどちらの人生が長いか、あるいは短いかは、そのレコードによる。そしてそれは誰にもコントロールすることは出来ない。「ヴィレッジ・ヴァンガード」の2枚のレコードは「彼ら」が生きた時代よりはるかに長い二回目の人生を生きている」

その後の栄光と挫折も丁寧に描写し、1980年9月にドラッグに苛まれた末に51歳で他界してエヴァンスの一生は終わる。まるで小説の様である。

今、リバーサイド盤のCDが安価で出ている。「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」はオリジナルの6曲と別takeを含め全11曲のアルバムになっている。別Takeを聞く楽しみはあるものの、エヴアンスが選び抜いた6曲で良いじゃないかという気持ちが妖しくゆれる。久しぶりに「Sunday at the Village Vanguard」「Waltz for Debby」「Undercurrent」と3アルバムを立て続けに聴いてしまった。(正)

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