別海から来た女【佐野眞一】

別海から来た女


書籍名 別海から来た女
著者名 佐野眞一
出版社 講談社(290p)
発刊日 2012.05.25
希望小売価格 1,575円
書評日 2012.09.12
別海から来た女

佐野眞一の著作を読むのは本書が三冊目となる。彼が常々ノンフィクションの要諦と言っている「論より証拠」という発想は本書でも十分に貫かれている。三件の殺人、六件の詐欺及び詐欺未遂、一件の窃盗で平成二十四年の一月に起訴され、四月十三日に死刑判決で結審した木嶋佳苗に関する犯罪のドキュメントであるが、この事件が報道された頃、それなりに分別があるであろう中老年が小太りで、どう見ても美人とは言い難い容姿の女に何故易々と騙されたのかという素朴な疑問を感じていたことを思い出す。繰り返し報道されるTV映像の木嶋佳苗と和歌山砒素カレー事件の林真須美の姿が重なって見えてしまったりした。本書の狙いを佐野はスキャンダラスな意味からでなく考えると宣言した上で、前半を木嶋佳苗が生まれ育った北海道の別海という土地柄とその歴史に注目して、佳苗を取り巻く多様な人々とのインタビューを大きな要素として構成、後半を100日間の裁判を傍聴した記録として構成している。

著者の視点は「人間よりも牛のほうが多い北海道ののどかな酪農地帯で育った女が、マスコミが好んで使うフレーズを借りれば、なぜ凶悪な毒婦もしくは女モンスターに変身したのか、という疑問」との言葉に集約されている。インタビューは木嶋佳苗を永く見続けてきた別海の人達や親族だけでなく、被害者や被害者になりかけた人々に対しても行われており、木嶋佳苗の行動様式や思想・性格といった人間像を明らかにするとともに、被害者達の置かれた状況も同時に掘り下げることで、単に、木嶋佳苗個人の犯罪という部分とともに、その犯罪に巻き込まれていった被害者達の共通性というか、社会的構造への警鐘についても面白く読んだ。

前半の冒頭は、木嶋佳苗の家系をさかのぼって俯瞰している。佳苗の曽祖父は昭和2年に福井県から別海に入植し塗炭の苦しみを味わいながらも、一開拓者に収まらず、多くの要職、公職について開拓地域のリーダーとして活躍した。また、祖父は司法書士であり、若くして別海村議会議員となり、10期40年に渡って議員を務めた。このように曽祖父・祖父ともに郷土の名士といわれる人達だった。しかし、時代が下り、この一族は地域の産業である酪農業に携わることも無く、名士の末裔として地元民と遊離した生活をしていた家族であった。こうした状況を、本書のキーワードの一つである「漂流民」と表現している。

また、佳苗個人の性格・性癖について、祖父は、子供の頃からの盗癖、それも家から小遣い銭をくすねとるといったものではなく、他家から預金通帳を盗んだという話まで語る。子供の頃や高校時代の多くのエピソードに加えて、父親の交通事故死事件もいろいろと語る人がいる。それは、2003年に佳苗が最初にネットオークションを舞台とした詐欺事件で逮捕されたことを苦に自殺したとの話や、もっとストレートに「交通事故に見せかけて娘の佳苗が殺したってもっぱらの噂」という話まで聞かされる。

極め付きは佳苗の母親とのインターフォン越しの会話であるが、佐野はこんな印象を記している。 「淳子(母親)は憔悴している様子はなかった。むしろ声の調子は明るく、それが却って奇異だった。・・・娘が世間を騒がせて申し訳ないという母親の殊勝さは感じられなかった。むしろふてぶてしさのようなものすら感じさせて、たじろがされる思いだった。そして木嶋佳苗の特異な性格は、この母親から受け継いだものではないかという思いがふと胸の内をよぎった」

また、判決後に公表された手記を取り上げられている。この手記は四百字詰原稿用紙30枚に及ぶもので、「法廷で話していない私の心境を述べておいたほうが良いだろうと思い書いた」と佳苗が語っているものだ。しかし、この内容についても著者の見方は厳しい。

「奇異なのは、自分が犯した罪に対する謝罪が一言もないことや、逆に何の罪も犯していないとするなら、その無実の者に死刑判決を出したことへの怒りもないことである。・・・内容の無さは、どこかで聞いたことのある文章の切り貼りであり、コピペである。・・・中身は何も無いのに文字を書くことだけは恐ろしく丁寧で、そこに向かって全精力が注がれている。これは異常な集中力の産物と言えるし、木嶋の空疎な人間性を象徴しているとも言える。木嶋にはたぶん大きな欠損がある。・・・本人も気付いていない深いところで人間が壊れている」

このように、多面的に佐野は木嶋佳苗個人のもつサイコパス(反社会性人格障害)的な行動様式を分析していく。

起訴された、一連の犯罪の特徴を「怨恨と血のにおいのしない犯罪・・・刺殺や射殺といった流血犯行現場とは無縁な練炭と睡眠薬が使われた不審死を遂げていることと、旧来の人間関係を超越したネットという精神的負担のかからない方法を使った新しい犯罪の到来を感じさせる」としている。そのトリガーとなったのが、起訴されなかった事件であるが、2007年に発生した福山定男の不審死事件である。被害者は松戸で名ばかりのリサイクル・ショップを経営していた福山で、2002年にネットで知り合った木嶋を雇い、帳簿を任せていた。約5年の間に被害者の銀行口座から木嶋の銀行口座に7千万円以上が振込まれている。そして、福山70歳の時、2007年8月に福山は風呂場で全裸のまま泡を吹いて死んでいるのを発見された。町の人達は、裏の不動産業(競売物件の転売)で儲けていたと話すと同時に、「福山さんは結局ヨソ者だったんですよ」という一言で、一風変わった老人と見えていた福山を総括してみせている。

佐野の描くこの事件の姿は、「福山はこの土地に根無し草のように流れついた。その漂流物をネットで掬い取ったのが、東京に憧れて北海道からやって来た木嶋佳苗だった。・・・日本列島を移動する漂流民の物語のようにも見えてくる」というものだ。昭和初期の入植・漂流民だった佳苗の曽祖父。一方、現代の被害者達は全国から首都圏に流れ着いた漂流民であり、地域に根付くことも無く、「遠い親戚より近くの他人」という関係も築けず、寂しくてたまらない。一緒に居てくれるならどんな女でもいいと思いつめる男たち。「下心ある人間」がネット上の一見信頼感を身にまとっているメールを「コミュニケーション手段」とすることで、いとも簡単に被害者達を掬い取ってまった。そう考えれば、一連の木嶋佳苗の犯罪は起こるべくして起こったとの見方を佐野はしている。

加えて、高齢化社会の現状のリスクに対しても警鐘を鳴らしている。 「結婚詐欺は数年前まで男の専売特許だった。・・・殺された三人には申し訳ないが、彼らにはもう少し女性に対する抵抗力や人間を見る洞察力があれば、最悪の結果だけは免れたような気がする。急速に進む高齢化社会の中で男たちはそれとはまったく逆ベクトルの幼児化に向かって進んでいる。・・・それは歳をとらせないというより、歳をとることがみっともないと思わせる社会が進行している証左のように見える。歳をとらせない社会とは考えてみれば恐ろしく残酷な社会である」

アンチエイジングにうつつを抜かす現代社会とは本当になんなのかと思う。評者自身が被害者達と同様に老年に差し掛かっているのだが、若く見られたいとも思わないし、5才、10才若く見えるといわれて嬉しくもない。しかし、そう開き直って日々生活できるのも家人に代表される、一人ぐらいはわかってくれる人が居るという安心感ではないかと思うことがある。もし、精神的に孤立していたとすると、ひとつ間違えれば、「漂流民」「サイコパス」「ネット社会」「メール」「虚言」「高齢化」といった本書を怪しく構成しているキーワードが自分の目の前に姿を現してくるのかもしれない。(正)

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