封印される不平等【橘木俊詔】

封印される不平等


書籍名 封印される不平等
著者名 橘木俊詔
出版社 東洋経済新報社(234p)
発刊日 2004.7.29
希望小売価格 1800円+税
書評日等 -
封印される不平等

最初の1行には、「日本の平等神話は崩壊している」とある。かつて日本は、「先進諸国で貧富の差がいちばん少ない国」とか「世界でもっとも成功した社会主義国」とか言われてきた。でも、そういう言い方が過去のものであることは、この10年、誰もが肌身に沁みて感じている。

この本は、目の前で進行する格差の拡大にたいして積極的に発言してきた4人の論者――橘木俊詔(経済学)、刈谷剛彦(教育学)、斉藤貴男(ジャーナリスト)、佐藤俊樹(社会学)――による座談会と、それを受けた橘木の論によって構成されている。

4人の一致するところ、所得などの不平等化が進行しはじめたのは1980年前後だという。1970年代まで、この国の所得分配が北欧並みの平等度を達成していたことはOECDの統計からもはっきりしている。また子供が親の職業(所得)の制約を受けずに、比較的自由に自分の進路と職業を決められたのが、高度成長前期までの日本だった。

それが変化するのは1980年代に入ってから。税・社会保険料を差し引いた後の「再分配後所得の不平等度」を計る係数を見ると、80年代の半ばからじりじりと上昇をはじめ、90年代後半になるとそれが一層はっきりしてくるのが分かる。

なぜなのかは、たいていの人が思いつくだろう。年功序列から成果主義への賃金体系の転換、不況とリストラによる失業率の上昇、社員を減らし派遣労働者を増やす雇用形態の変化、ベンチャー・ビジネスの成功者など高額所得者の増加、恵まれた熟年層と低所得の熟年層という高齢者の2極化、などなど。

加えて、1986年には15段階・最高70%だった所得税の税率が、何度かの変遷をへて1999年には4段階・最高37%へと変わったことの影響も大きい。富める層を優遇したこの所得税の改訂については、格差拡大が国の意思だったことがはっきりしている。

ところで、平等・不平等を議論するときには2つの視点が必要なのだという。ひとつは「結果の不平等」で、もうひとつは「機会の不平等」。

たとえば、ある人が得る所得が多いか少ないかは「結果の不平等」に属する。大企業に入ったり、いい仕事や売れる仕事をした人間には高い所得がもたらされる。事業に失敗したり、失業したりすると所得は下がる。つまり競争の結果として、成功者と失敗者には「結果の不平等」がついてまわる。

「結果の不平等」については、4人の論者のあいだでも、「ある程度以上の格差は是正(政府による再分配)すべきだ」という意見から「機会の平等が保証されていれば、どんな結果の不平等があってもよい」という考えまで、かなりの幅がある。

でも一致しているのは、「機会の不平等」があってはならないということ。つまり競争に参加するチャンスは、誰にでも公平に開かれていなければならない。この「機会の不平等」についていちばん分かりやすく、しかも重大な問題は、親の人種や職業、所得によって子供の地位に影響があるかどうかということだ。

刈谷の調査によると、1979年と1997年のデータを比較すると、97年では高校生の「学力」と「学習意欲」の両方について、親の階層による格差がはっきり存在するという。

それによると、高校生の学校外での学習時間は、親が高い階層に属しているほど多くなる(もっとも、同じ階層のなかでは、79年に比べるとどの階層でも学習時間は低下している)。また子どもに対して「落第しない程度の成績でよい」と考える親は、下層にいくほど多くなる。

さらに、父親と息子の職業を比較した佐藤の調査によると、子どもが父親の職業・階層を受け継ぐ確率が最近では高くなってきている。特に「上層ホワイトカラー(管理職・専門職)」ではその傾向が強い。

言いかえれば、父親が「上層ホワイトカラー」でない場合、その子どもが「上層ホワイトカラー」になれる確率が低くなってきている。つまり「結果の不平等」が次の世代の「機会の不平等」をもたらし、階層間の移動が少なくなって社会が閉じられつつある。

「2世社会」などと言われるように、そのことはすでに多くの人が実感しているに違いない。でも、このように改めてデータとして出されてみると、いったんは立ち止まって、この国はどこへ行こうとしているのかと考えこまざるをえない。ほんとうにみんな、アメリカ型の競争社会を望んでいるの?

こうしたデータを基にして、座談会では「競争社会がいいというコンセンサスはできているのか」「競争社会に参入できる人、できない人が選別されているのではないか」「競争社会は実は非効率なのではないか」「日本はアメリカ型ではなく旧ソ連型の不平等社会になりつつあるのではないか」「社会が、ものを考える2割程度の人と、何も考えない8割の人とに分割されているのではないか」など、刺激的な議論が展開されている。

また、アメリカは貧富の格差が日本よりはるかに大きいだけでなく、「機会の不平等」についても人種や学歴による格差がきわめて大きい社会(「アメリカン・ドリーム」のキャッチコピーにもかかわらず)であることも指摘されている。

橘木の診断によると、今の日本はアメリカほどではないにしても、「イギリス、フランス、ドイツといった国とほぼ同等の不平等度に高まった、……いわば普通の先進国になった」という。

進行しつつある不平等がさらに拡大するのを許すのか。「普通の国」になった現状で歯止めをかけるのか。あるいは、もういちど格差を縮小するほうへ舵を切るべきなのか。この国の未来を考えるために、いろんな素材を提供してくれる一冊だ。(雄)

プライバシー ポリシー

四柱推命など占術師団体の聖至会

Google
Web ブック・ナビ内 を検索