そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所【松浦寿輝】

そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所


書籍名 そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所
著者名 松浦寿輝
出版社 新潮社
発刊日 -
希望小売価格 1785円
書評日等 -
そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所

本には読者の知性を要求するものと、感性を要求するものの二種類があると思う。この本は読者に対して、かなり鋭い感性と深い想像力を要求するようだ。題名と装丁に引かれて読みはじめたが、その危うい感性の回路に迷い込むのにさして時間はかからない。

1999年から2004年に書かれた掌編を集めたこの本は日頃ビジネスという論理先行の生活をしている評者にとって、心の揺らぎや時制を自由に変換するといった表現に出会うと、普段使わない思考回路が刺激される。詩人である松浦は自身の短編の作り方をこのように書いている。

「短編は愉楽の領域である。自分の内部の暗闇に手を差し入れて、ふと指先に当たって摘み上げてきた一粒の種子を、土に植え水をやって発芽させてみる。その種子が芽吹き実がなってくれれば短編の完成である。・・・・」と

各短編は同種のフレーバーというわけではなく、それぞれが特徴的な読み口で楽しめる。素直な感覚の増幅と思える掌編はスッーと読み通せるスマートさを感じさせる。その部分は詩人松浦の言葉選びの巧みさだろう。そうしたいくつかの短編から始まり、読み進むに従って後半の短編の構成は複雑且つ深層表現の世界になってくる。

収められている文章のうちの数編は、松浦自身の詩を骨格というか材料として構成されている。その中で、詩人としての松浦と短編作家としての松浦は別人格として表現されており奇妙というか、読み手としての基点を定めかねる不安定感は作者の作意に乗せられて増幅するし、作者は愉楽かもしれないが読み手はズルズルと危うい回路にはまり込む。

「逢引」という短編は「死んでしまった詩人」の詩から始まる。そして「わたし」と「詩人と付き合っていたという女」の電話による突然の会話。その女は「わたし」の作品は「死んだ詩人」の詩を盗作したものだと責める。「わたし」はその女を知らない。しかし「女」は「わたし」の心の襞までわかっているように話す。「女」は会いたいと行ってくるが、会うべきか迷う。

「わたしはどっちつかずの曖昧な気持ちの中で揺れながら「幻の螺旋」を閉じ、いくらか震える手で(「死んだ詩人」の詩集を)箱に入れ、背伸びをしてまた埃の積もった本棚の一番上の段の隅に戻した。・・・」

読み終えると、「死んだといわれている詩人」、「わたし」、「電話をしてくる女」は一人の人間の中に存在する別の人格のように思えてくる。だとすると、かなりサイキックなこの仕立ては作者の凶暴な衝動の発露だと思わざるを得ない。

「自分自身の詩を改めて他人の目で読み返し、その内部に潜勢力として胚胎されていながら展開しきれずにいたロマネスクを芽吹かせ、開花させる試み・・」と松浦が言っているように、過去自作した詩を素材として新しい世界を表現している。そうした構造はある種、禁じ手とも思える一方、新しい表現の形として評価すべきとの見方は当然あるだろう。

例えば、ミステリーは最後種明かしがされてそうだったのかと読者は納得して本を閉じることが出来るが、本書は、「さあ、あなたはこれをどう読むか」と突き放されて本を読み終えることになる。従って、心身ともに健康な人が読むべきで、疲れている人にはお勧めしない。もっと疲れ果ててしまう。そして、本書を読むお勧めの環境は、冬の夜、暖を取りながら一人で静かにページをめくって欲しい。間違っても夏の海辺で潮風に吹かれながら読む本ではなさそうである。 (正)

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