増補 もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために【加藤典洋】

増補 もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために


書籍名 増補 もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために
著者名 加藤典洋
出版社 岩波現代文庫(528p)
発刊日 2023.02.15
希望小売価格 1,958円
書評日 2023.04.15
増補 もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために

2019年に亡くなった加藤典洋の、さほどいい読者だったわけではない。それでもデビュー作の『アメリカの影』以来、『敗戦後論』『戦後的思考』など主として戦後日本のあり方を考える折々の著作から大きな刺激を受けてきた。本サイトでも『戦後入門』(2015)を取り上げている。年齢は小生より一歳下だが、同世代として似たような本を読み、似たような感受性を持っていた(その上で彼は優れた著作を何冊も書いたわけだが)ことも彼に惹かれた理由のひとつだろう。この本は2015年から2018年、加藤の早すぎる晩年に書かれたエッセイを収録している。ぎょっとするようなタイトルのもとで、晩年の加藤が何を考えていたのか知りたくて手に取った。

読み終えてみると、本書のタイトルに加藤は二重の意味を込めていたことがわかる。それは追い追い明らかにするとして、彼は執筆当時(2017年、第二次安倍政権)のこの国のありようをこう認識している。国が後退と停滞と劣化にさらされるなかで出てきたのは、「狭隘な排外思想とすらいえないヘイトクライム、また『うつろな』保守的国家主義思想の跳梁」に他ならない。それに対して、戦後民主主義の思想は抵抗の足場としての力をほぼ失いつくしている、と。失いつくした、その理由を求めて、加藤は幕末の尊皇攘夷思想にたどりつく。

幕末の尊皇攘夷思想は明治維新・廃藩置県として結実し、封建的身分制を解体するという現実の成果を生み出した。それはなぜ可能だったのか。加藤の理解をたどってみる。

この時代の攘夷の思想には、軍事的な威嚇で開国を迫る列強に対して、このままではアジアの他の国々と同じように植民地にされてしまうという「理不尽の感覚」、弱者の抵抗という基盤を持った「地べたの上に立つ『正義』の論」があった。とはいえ世界は、そうした内在的な「正しさ」だけで動くわけではない。実際、長州藩も薩摩藩も英国に戦争をしかけて手痛い敗北を喫した。「この『正しさ』は壁にぶつかり、他と調停され、別のものに姿を転じなければ、生き延びることができない」。自分の信じる『正しさ』から離脱し、これを相対化できる機能をもっていなければ他の共同体と共存して生きていけない。「内向きの『正しさ』の思想が、自分で、これを相対化する契機を掴んで、関係の意識に目覚める。そして、いわば『関係の思想』に転換していく」。それを加藤は「『内在』から『関係』への転轍」と呼んでいる。それが尊皇攘夷から尊皇開国への転換で、テロリズムの思想が建設の思想へと「理屈なしに」接続されて明治国家のイデオロギーとなる。

そのことを加藤は別の表現で、尊皇攘夷思想は「攘夷論が一階で尊皇論が二階であるような二階建ての構築物」とも言っている。攘夷論の一階には「地べたの『正しさ』」「弱者の抵抗の論理」があって、尊皇論という二階のイデオロギーを支えている。その拮抗があるから二階の原理主義は必ずしも絶対ではなく、天皇を道具として見、「神聖不可侵」とは信じないリアリズムを持ち合わせていた。

しかし明治国家は、そんな自分の過去を忘れてしまう。「明治維新をもたらした“テロリストの思想”ともいうべき尊皇攘夷思想と、その後の、尊皇開国思想への“集団転向”という『ヤバい』ものを、明治維新が成就したあと、当事者たちが、示し合わせるように『なかったこと』にしてしまった」。

その忘れ去られた過去が、昭和になって国の存亡にかかわる危機のなかで皇国思想として蘇ってくる。でもそれは「地べたの正しさ」ではなく、「世界恐慌に端を発した国難の『やむをえなさ』の主体を国家にすりかえた国家主義の思想」にすぎなかった。「幕末の尊皇攘夷思想が革命思想であるとすれば、国体明徴運動によって支えられ昭和維新を標榜した皇国思想は疑似革命思想」に他ならなかった。二階建ての比喩で言えば、一階部分、「どうしてもこれを守らなければならないという抵抗の起点」がなく、二階部分は、八紘一宇という「『関係』の意識を欠いた」「誇大妄想的なイデオロギー」にすぎなかった。その尊皇攘夷思想の何度目かの「うつろな」再来が、現在の「国をあげての夜郎自大化、排外的傾向の拡大」として現れている。

こんなふうに彼の論旨をまとめてしまうと、ずいぶん荒っぽい議論のように見えてしまう。文芸評論家である加藤は、言うまでもなく歴史学のフィールドで議論しているわけではない。彼がこの議論の素材として読み込んでいるのは丸山真男、吉本隆明、そして丸山の背後にある福沢諭吉である。

では加藤の目に戦後はどう映っているのか。二階部分が憲法9条に象徴される平和憲法だとすれば、一階部分は「もう戦争はいやだ」という国民の戦争体験だった。その先について、この本のなかでは加藤は多くを語っていない。が、彼の論から類推すれば、「戦争はいやだ」という「地べたの『正しさ』」を国民の多数が共有している間は二階の平和憲法と緊張が保たれていた。でも戦争体験を持った国民が少なくなり一階部分が消失するにつれて、二階の「憲法9条を守れ」は単なるスローガンに近づいてしまう。それが、戦後民主主義の思想は抵抗の足場としての力をほぼ失いつくしている、という彼の言い方に表れているのだろう。

そこで呼び出されるのが尊皇攘夷思想ということになる。幕末の尊皇攘夷思想が人を動かしたのはなぜか。激しく人を行動に駆りたて、しかし現実の壁にぶちあたった後、どのようにして自らを別の方向に「転向」させるだけの柔軟性を持っていたのか。「戦後のリベラルな思想にとって、こうした問いに答えることが、尊皇攘夷思想を、私たちに親しいリベラルな思考と同じ分母をもち、通約可能な存在へと変える」。「リベラルな思想は、これを恐れ、排除してはならない。幕末の尊皇攘夷思想こそが、日本の近代の文脈に置く限り、戦後のリベラルな思想を含む、日本の近代以降の内発的なすべての思想の出発点であり、祖型なのです」。

こうした考えについて、彼は「あとがき」で、「加藤が今度は尊皇攘夷思想を顕彰するようになったか、と思われるかもしれないが、ある意味では、その通りである」と書いている。アジアの国々、韓国も中国も台湾もフィリピンもベトナムも戦後、自力で国の体制をくつがえした経験を持っているが、その経験が日本にはない。戦後の民主化はすべてアメリカによって他動的に行われた。「独立」後も対米従属は続いている。とすれば、「日本がもったただ一つの体制打破の思想すなわち革命思想が、尊皇+攘夷という幕末の思想の形をもったことの意味」をもう一度考えてみよう。それが晩年の加藤を突き動かした思念と言えそうだ。

加藤はこうした議論について、戦後民主主義を10年、20年ではなく100年、300年の射程で考えてみる、と言っている。また考えることそのものについて、矛盾や相克を恐れず、直線的な「正義」ではなく「間違いうること」に信をおく、という。そんな彼の思考のスタイルが尊皇攘夷思想を論じたパートだけでなく、いくつものエッセイからうかがえる。また加藤が大きな影響を受けた鶴見俊輔との出会いを、鶴見の死の翌年に語った講演も印象深い。もうひとつ同世代者として個人的な読後感を言えば、加藤は学生時代の全共闘体験(と連合赤軍事件)に最後までこだわったのだな、というものだった。(山崎幸雄)

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