掃除婦のための手引き書【ルシア・ベルリン】

掃除婦のための手引き書


書籍名 掃除婦のための手引き書
著者名 ルシア・ベルリン
出版社 講談社(320p)
発刊日 2019.07.08
希望小売価格 2,420円
書評日 2020.11.15
掃除婦のための手引き書

先月の『苦海浄土』につづいて積読本の2冊目は、アメリカ人作家ルシア・ベルリンの短篇集。去年、タイトルに惹かれて買った。『掃除婦のための手引き書(原題:A Manual for Cleaning Woman)』。掃除婦とかマニュアルとか、小説とは縁がなさそうな言葉をタイトルに選ぶあたりに作者の、なんというか精神の傾きを感じた。2004年に亡くなっており、アメリカでも死後に評価されたらしい。短編作家で生涯に76本の小説を書き、本書ではそのうち24篇が紹介されている(訳者は岸本佐知子)。邦訳も地味ながら話題になり、版を重ねているようだ。

岸本の解説によれば、ルシアの小説はほぼすべてが実人生に材を取っている。そういうタイプの小説家の場合、その作品世界は素材にせよ舞台にせよ作者の実人生の幅のなかに収まって、限られた小宇宙をつくることが多い。でもこの本を読んで驚くのは、小説の登場人物も場所もその経験も、なんとも多彩なこと。

それは彼女が200回の引っ越しをしたと書いているように、アラスカからアイダホ、ケンタッキー、テキサス、モンタナ、アリゾナ、ニューメキシコ、ニューヨーク、カリフォルニア、コロラドなど国内と、チリ、メキシコなど海外を転々としたことによるだろう。また鉱山技師の娘として労働者と暮らしたかと思うと、チリでは上流階級の一員として裕福な生活を送り、成人してからは3度結婚して3度離婚し、教師、掃除婦、電話交換手、事務員、看護師などの仕事をしながら4人の子供を育て、アルコール依存症になり、晩年は大学で創作を教えたという経歴にもよるだろう。

そんな彼女の短篇群をどんなふうに語ればいいのか、よく分からない。いくつかの作品を取り上げ、物語を紹介して感想を述べても、あまりに多彩な彼女の小説世界の全体に触れられないように思う。そこで「実人生に材を取った」短篇群から、彼女の人生を引用によって再構成することでその魅力の一端を伝えてみたい。そのため、すべての小説に登場する作者その人らしい主人公を、ある一篇でそう名づけられているように「ルル」と呼ぶことにする。もちろん小説の主人公を作者その人と同一視してはならないのは承知している。でも「ルル」はルシア・ベルリンと同一人物でないにしても、ルシアの影であることは間違いない。

少女時代。両親は裕福な家の出だったが、大恐慌で没落した。ルルは住んでいた鉱山町と母親をこう描く。「ママ、あなたはどこにいても、誰にでも、何にでも、醜さと悪を見いだした。……この鉱山町をあなたはどこよりも憎んだ、なぜなら『町』とも呼べない小さな町だったから。『小さな町のクリシェよ』教室一つだけの学校、ソーダファウンテン、郵便局、刑務所が一つずつ。売春宿が一つ、教会も一つ。雑貨屋の片隅の貸本コーナーが図書館がわり」

小学生のルルは脊椎湾曲症で、「鉄のごつい矯正具を背中にはめていた」(フリーダ・カーロの自画像のような)。「中世の拷問道具のようなものに」つながれる病院の診察で、同級生のボーイフレンド、ウィリーがくれたハートのネックレスにまつわる美しい思い出がある。「お医者さんは、ウィリーにもらったハート形の銀が写ったわたしのレントゲン写真を一枚くれた。Sの字に曲がった背骨、おかしな位置にずれた心臓、そしてちょうど真ん中にウィリーの心臓(ハート)。ウィリーはそれを、鉱物検査事務所の奥の小さな窓に飾ってくれた」

チリでの高校時代。たくさんのメイドがいる豪邸に住み、シャネルに身をつつみ、ホテルでのディナーや舞踏会の日々。ルルは共産党員のアメリカ人教師に誘われ貧民層へのボランティア活動に参加しはじめる。「ゴミ捨て場に行った日は風が吹いていた。砂がきらきらたなびいて、おかゆの上に降った。ゴミ山から立ちあがる人影は土埃をまとって、銀色の亡霊のようだった。だれも靴をはいておらず、足はぬかるんだ丘の上を音もなく動きまわった。……湯気をたてる汚物の山の向こうに街が見え、はるか頭上には白いアンデス山脈があった」。この鮮烈なイメージ!

アメリカに戻ったルルは大学在学中に最初の結婚をする。2人の子供を産み、離婚。2人目の夫はジャズ・ピアニストで、一家はニューヨークへ出た。「二人でニューヨークで必死に働いた。ジュード(夫)は練習し、ジャムに参加し、ブロンクスの結婚式で弾き、ジャージーのストリップ小屋で弾き、やっとユニオンに加入した。わたしは子供服を縫い、ブルーミングデールスに置いてもらうまでになった。わたしたちは幸せだった。あのころのニューヨークは夢のようだった。アレン・ギンズバーグやエド・ドーンがYMCAで朗読をした。大吹雪のなか、MoMAにマーク・ロスコの展覧会を観にいった。天窓の雪ごしに射しこむ濃密な光のなか、絵が生き物のように息づいていた。ビル・エヴァンスやスコット・ラファロを生で聴いた。ジョン・コルトレーンのソプラノ・サックス。オーネット・コールマンのファイブ・スポットでの初演奏」。1960年代だろう。うーむ、ジャズファンなら涎が出る体験。

やがてルルは夫の友人と駈け落ち。2人の子供を産むが離婚。そしてアルコール依存症。「深くて暗い魂の夜の底、酒屋もバーも閉まっている。彼女はマットレスの下に手を入れた。ウォッカの一パイント瓶は空だった。ベッドから出て、立ちあがる。体がひどく震えて、床にへたりこんだ。過呼吸が始まった。このまま酒を飲まなければ、譫妄が始まるか、でなければ心臓発作だ」「考えちゃだめ。今の自分のありさまについて考えるな、考えたら死んでしまう、恥の発作で」

依存症に悩みつつ、ルルは働きながら4人の子供を育てた。掃除婦をしながら、こんなマニュアルを書きつける。「(掃除婦たちへのアドバイス:奥様がくれるものは、何でももらってありがとうございますと言うこと。バスに置いてくるか、道端に捨てるかすればいい)」「(掃除婦たちへ:原則、友だちの家では働かないこと。遅かれ早かれ、知りすぎたせいで憎まれる。でなければいろいろ知りすぎて、こっちが向こうを嫌になる)」「(掃除婦たちへ:猫のこと。飼い猫とはけっして馴れあわないこと。モップや雑巾にじゃれつかせてはだめ、奥様に嫉妬されるから。だからといって、椅子からじゃけんに追い払ってもいけない。反対に、犬とはつとめて仲良くすること)」。こういうひねりの利いたユーモアが、ルシアのどの短篇にもある。あるいはまた、モップでキッチンを掃除しながら、家の主人である医者とこんな会話もある。「ドクターが訊く。きみ、なんでそんな職業を選んだの? 『そうですね、たぶん罪悪感か怒りじゃないでしょうか』わたしは棒読みで答える」。

メキシコに暮らす妹が肺がんになったと知らせてきた。余命は半年か一年。ルルはメキシコシティに飛んだ。その短篇の冒頭。「ため息も、心臓の鼓動も、陣痛も、オーガズムも、隣り合わせた時計の振り子がじきに同調するように、同じ長さに収斂する。一本の樹にとまったホタルは全体が一つになって明滅する。太陽は昇ってまた沈む。月は満ちそして欠け、朝刊は毎朝六時三十五分きっかりにポーチに投げこまれる」。物語の最初からぐいっと心臓を掴まれる。ルシアの短篇の書き出しはなんとも印象的だ。「六時三十五分きっかり」と細部にこだわって時刻を定めることで、それまでの具体的でもあり意識の内側のことでもある時間の流れがぴたりと静止する。そしてこうつづく。「人が死ぬと時間が止まる。もちろん死者にとっての時間は(たぶん)止まるが、残された者の時間は暴れ馬になる。死はあまりにも突然やって来る」

1990年代、アルコール依存症を克服したルルはサンフランシスコ郡刑務所で囚人たちに創作を教えることになった。そのことを題材にした一篇で、ある囚人の書くものが仲間内で才能があると誉められたことについて、ルルはこう答える。「『オーケイ、白状する。教師をやってる人間なら、誰でも経験あることだと思う。ただ頭がいいとか才能だけじゃない。魂の気高さなのよ。それがある人は、やると心に決めたことはきっと見事にやってみせる』」

この一節を読んだとき、「魂の気高さ」はルシア・ベルリンその人のことだな、と思った。生涯背負うことになった脊椎湾曲症と、その後遺症。没落してこの世を呪いつづけた母親との難しい母娘関係。3度の結婚と離婚。掃除婦などブルーカラーとして働きながらの4人の子育て。アルコール依存症。たいていの人間なら押しつぶされてしまう、そんな日々を生きながら創作への意欲を失わず、ぽつりぽつりと短篇を発表しつづけた。自らの絶望的な状況を、母親譲りの辛辣な眼とひねくれたユーモアで見つめながら、ほぼ無名のまま文章を書くことを放棄しなかった。晩年を語った数少ない短篇には、山間の町で、死んだ妹を思い出しながら、ルシアには珍しい穏やかな風景が広がっている。

「つい二、三日前、ブリザードの後にもあなたはやって来た。地面はまだ雪と氷に覆われていたけれど、ひょっこり一日だけ暖かな日があった。リスやカササギがおしゃべりし、スズメとフィンチが裸の木の枝で歌った。わたしは家じゅうのドアと窓を開けはなった。背中に太陽を受けながら、キッチンの食卓で紅茶を飲んだ」。ルシアの晩年にこんな時間が訪れたことをじっくり味わいたい。(山崎幸雄)

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