戦争と平和 ある観察【中井久夫】

戦争と平和 ある観察


書籍名 戦争と平和 ある観察
著者名 中井久夫
出版社 人文書院(210p)
発刊日 2015.08.20
希望小売価格 2,530円
書評日 2022.09.16
戦争と平和 ある観察

中井久夫の訃報に接した。8月8日、肺炎で死去。88歳だったという。新聞記事には、中井が精神科医で統合失調症の専門家であること、阪神淡路大震災に遭って地域の精神科医の連携に奔走し、その後につくられた兵庫県こころのケアセンターの初代センター長に就任したことが記されている。また専門的な著作のほかに、ギリシャの詩人カヴァフィスの翻訳やエッセイを残したこともつけ加えられている。

中井久夫が残した多くの専門的著作はハードルが高いけれど、阪神淡路大震災に際しての活動記録や、ととりわけ1990年代から折々に刊行された10冊近いエッセイ集は本を、読むことの醍醐味を味わわせてくれた。明晰な文体、この人ならではの斬新な視点から受ける刺激は、比類のないものだった(本サイトでも『「昭和」を送る』を取り上げている)。

訃報を聞いて、そういえば一冊、積んだまま未読の本があったな、と思い出した。それが本書。2015年に刊行されている。中井の著作を集成した『中井久夫集』(みすず書房)全11巻が刊行されはじめたのが2017年で、本書はエッセイとしては中井の最後の単行本ということになる。

テーマはふたつ、戦争と震災。刊行された2015年は戦後70年、阪神淡路大震災20年に当たるから、そのことも意識されているだろう。中心になるのは、タイトルと同じ「戦争と平和 ある観察」と題された60ページほどの文章。軍人の家系に生まれた中井が、小学生として体験した太平洋戦争を核として20世紀の戦争と平和を、「生存者罪悪感」「願望思考」「認知的不協和」「安全保障感」、また「過程」と「状態」といった彼らしいキーワードを駆使して、人類はなぜ戦争を埋葬できないのかが考察されている。

これらのキーワードは中井が精神医学の研究者として使ってきた言葉だろうが、それを専門外の歴史に応用してみせた感がある。彼自身、エッセイの最後で「そもそも私がこのような一文を草することは途方もない逸脱だとわれながら思う。しかし、一度は書かずにおれなかった」と記している。そのように中井に書くことを強いたのは、「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない」と書くように、体験とそれに裏打ちされた「観察」を言葉にして次の世代に伝えなければという危機意識だったろう。

本書の構成が面白いのは、この抽象度の高いエッセイの後に「戦争と個人史」「私の戦争体験」と個人的な事柄にふれた2本を配し、この3本を前提にして歴史学者・加藤陽子と対談した「中井家に流れる遺伝子」が置かれていることだ。中井久夫が記す戦争と平和への「観察」について、私にはあれこれ言うだけの能力に欠けている。そこで、いかにも中井久夫だなあと感心してしまったところをエピソードふうに二、三、紹介してみる。

小学生の中井は、天皇は神であるとか「天壌無窮」「神州不滅」といった言葉に疑問を抱いた。そのきっかけは、「天体と宇宙」という本を読んで「宇宙的な規模からものをながめる」習慣がついたからだという。そこから、「天皇を神だというときアンドロメダ星雲を支配しているわけはなかろうと考えていました」となる。それに対して加藤は、「ふつう、天皇陛下もお手洗いにいくだろう、といったところから、天孫降臨、現人神はおかしい、という疑念からはじまるわけで。星雲ですか!」と応答している。「こういうところが、先生の、他の追随をゆるさない部分ですね」。

もうひとつ中井らしかったのは、太平洋戦争に敗れた日本の戦後改革を考えるのに古代日本を参照していること。これにも驚かされた。「戦後の改革は、千三百年以前の変化に似ている。それは白村江の敗戦後の変化である。この敗戦を機に『倭国』は部族国家集合体であることをやめて、『日本』となり、唐に倣った位階制の存在を強調して中央集権官僚国家を発足させ、大使・留学生を派遣して唐主導下の平和に積極的に参加した」。

これに対し「慧眼です」と応じる加藤も面白い。白村江を考えた人がもう一人いる。それが昭和天皇だというのだ。「(敗戦1年後に天皇主催で開かれた茶話会で)天皇はこう言う。今回の戦争では負けてもうしわけない。けれども、日本が負けるのは今回がはじめてではない、白村江の戦いがあった七世紀にも負けている。それを考えれば、日本が今後進む道は明らかだ。白村江で負けて以降、日本は国風文化といわれる文化の花を咲かせた。今後の日本は平和国家、文化国家の道を歩めばよいと、昭和天皇は述べていますね」。

本書の後半には災害についての2本のエッセイと、神戸の元書店主で被災者支援の文化活動を行っている島田誠との対談が収録されている。ここでもまた、いかにも中井久夫、と思えたエピソードを拾ってみよう。

阪神淡路大震災に遭った中井は精神科の患者をケアするネットワークづくりに奔走していた(その経験は患者のみならず被災者の心のケアに関する手本として、後の新潟中越地震、東日本大震災に大きく生かされた)。その記録は彼の編書『1995年1月・神戸』(みすず書房)に詳しいが、夜を日に継ぐ活動の一方で彼はこんなことを考えている。

「私は、こうした災害の中で、非差別者に対して暴行があるのかないのかが、戦後五〇年をどう見るかの試金石であるだろうと考えていました。在日韓国・朝鮮人に対して日本人はどういうことをするだろうか、もし暴行があれば私はどう行動するだろうか、と考えて、それなりの覚悟もしていたのですが、後で在日の人に聞くと、強い不安があったけれどまちに出るとそんな不安はすぐ消えたと言っています」

もうひとつ。震災後数か月はあった「みんなが優しくなって、共感できるような」「共同体感情」の行方。あの一体感は消えてしまったのか。中井は、あれは「みんな無理をしている」のだから永続しないと述べつつ、最近、フェリーに乗るための車列で大変な待ち時間があったときの体験を語っている。

「その間、喧噪もなく、割り込む車もなく、整然としていました。これは、日本が持っている最後の含み資産だな、と思いました。/人間の社会性、共同体というものは、必要に応じて出て来るものだという感じが新たにしましたね。不必要なときに出てきたらこれはセンチメンタリズムだし、権力で強制するとか、雰囲気で強制することになると、不自由な社会になる。ふだんはシラケている自由があっていいわけです」

人間の社会性は必要に応じて出てくるものだ、という柔らかな認識は、いかにも臨床家だった中井にふさわしい。ただ戦争にせよ震災にせよ、この本での中井の穏やかな語りの背後に、長年の読者としては戦後70年たったこの国の行く末への、中井の不安と心配を否応なく感じてしまう。中井の死という事実によって、その感が一層強められているのかもしれないが……。本書の構成は編集者的な視点からすれば、正直に言って完成度は必ずしも高くない。でもそれを分かった上で中井が刊行を決めたのは、彼のそうした不安や心配と無縁でなかったのではないかとも思う。

最後に個人的なことを。中井さんには、40年ほど前にお目にかかったことがある。『分裂病と人類』(東京大学出版会)という大胆な仮説を本にした数年後のこと。私は『朝日ジャーナル』編集部にいてこの本に刺激され、「<ノマド>の誘惑」という特集を企画してインタビューをお願いした。中井さんは神戸大学医学部の教授で現場の医師でもあったが、忙しいなか休日に神戸の自宅で取材に応じてくださった。

2時間ほど、遊動社会における兆候への敏感さと農耕定住社会の強迫性といったことを、関西弁(神戸弁?)の匂いのあるしゃべりで教えてもらった。背後にあるのは現代の強迫的な社会に対する「観察」である。「ただ、強迫性全部が敵(かたき)ではない。新幹線が気が向いたとき発車するんじゃ困るでしょう? 僕は一方を肯定して一方を否定してるんじゃない。もっぱら兆候性だけに惹かれていったら破滅ですから。なんでも一本鎗でやったら病気になりやすいってことですかね」と、このときも中井さんは、こちらの性急な質問をなだめるように答えている。

帰り際、刊行されたばかりの限定版『カヴァフィス全詩集』(中井訳)をいただいた。今も書棚にこの本を見るとき、中井さんのあの温厚な笑顔を思い出す。(山崎幸雄)

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