日本という国【小熊英二】

日本という国


書籍名 日本という国
著者名 小熊英二
出版社 理論社(192p)
発刊日 2006.3.30
希望小売価格 1200円
書評日等 -
日本という国

「みんなのなやみ」(重松清)、「バカなおとなにならない脳」(養老孟司)といったラインナップが並ぶ中・高校生向き「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。なかではこれがいちばん話題になり、売れてもいるようだ。

小泉首相が自分の「美学」のためだけに8月15日に靖国神社を参拝したことで、60年前の戦争と戦争責任についての議論が改めて盛り上がっている。最近の反中国、反北朝鮮、反韓国の議論を見ていると、表向きの強面とは逆に、その裏側に不安や被害者意識が貼りついているような気がしてならない。それがどこから来ているのかを考える手がかりとして、近代日本のなりたちを解説しているこの本が役に立つ。

大きな活字(15級)にイラスト入り、ぜんぶで200ページ足らずの本で「日本という国」を論じようというのだから、こまかな枝葉を払って幹の中心にずばりと切り込むことが求められる。どの時代のどの問題をピックアップするかが著者の腕。その上で、中・高校生が理解できる言葉づかいで説明することが必要になる。

ここで小熊英二が取り上げている時期は2つ。ひとつは明治で、維新から日清戦争まで。もうひとつは戦後で、敗戦から講和条約まで。この2つの時期こそ大日本帝国と日本国の「建国時代」で、ここで近代日本の国家の基本的な仕組みができあがった、と小熊は言う。

明治の「建国時代」の素材に選ばれているのは福沢諭吉だ。

小熊は「学問のすすめ」の有名な一節、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」につづく部分に注目している。この文章の後には、「されども」という接続詞が来て、「唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」と記されている。

「人間は平等だというけれど、じっさいはそうじゃない。勉強をするやつは成功して金持ちになり、勉強をしないやつは貧しい下人になる。だから勉強しなさい。それで「学問のすすめ」というわけだ。わかりやすい話だろう?
こういう原理が支配している世界は、なかなか「やってらんない」世界だ。勉強したらえらくなる、勉強しなければ下人になる。まさに弱肉強食の競争社会だ」

武士の子は武士、農民の子は農民という身分制が支配する封建社会から、資本主義の自由競争へ。この自由競争こそ明治という「あたらしい時代の原理」で、この原理を説いたからこそ「学問のすすめ」はベストセラーになった。そしてその目的は「「日本という国」を強くするため」だった。

小熊は、「ここで福沢が述べていることは、よく考えると、おそろしいことだ」と言いながら、彼の説を紹介している。世界には2種類の国がある。ひとつは「平民は無教育にとどめ、支配者だけが知恵をもっている、身分制の「東洋」の国」、もうひとつは「一般人も教育して心身を発達させ、自分の欲望を追求するために他人を蹴落としながら自由競争し、経済成長する「西洋」の国」。そのようにして欲望と力を拡大させた西洋諸国は、東洋を侵略し植民地にしている。

そこから福沢は、「さけようがない伝染病(注・西洋文明のこと)ならば、一日もはやく日本国民にそれを流行させてしまい、「侵略される側」から「侵略する側」の国になろう」という「脱亜入欧」を説いた、と小熊は言う。

「「日本という国」の近代化は、こうして始まった。西洋の文明を吸収し、国内では「学問」をして競争に勝ちぬき、国際的には「侵略される側」から「侵略する側」にまわる。そのために、国民全員を義務教育によって、勉強させなければならない」

「日本の近代化は、国民全体に西洋文明の教育をゆきわたらせながら、同時に政府や天皇への忠誠心をやしなうという方向で進んでいった。そして1985年には、明治以降はじめての対外戦争である日清戦争に勝利した。……
この後の日本の歴史は、福沢が予言した方向にむかっていったといえる」

大日本帝国の「建国原理」を説明するのに福沢諭吉を用い、そこから「自由競争」と「教育」という2つのキーワードを抜き出す。簡潔に、しかもわかりやすく帝国の心臓部を摘出してみせる腕は鮮やかというしかない。

福沢の思想をどう解釈するかについては色んな議論があり、小熊の理解は福沢の思想に国権的、侵略的側面を見る立場に近いようだ。それが正しいかどうか僕には判断できないが、福沢が生まれたばかりの国家の原理をいちはやくつかんでみせたことの凄みは、小熊の筆をとおしても伝わってくる。

小熊がこの本でもうひとつ取り上げているのは日本国の「建国時代」、敗戦から講和条約まで。

「アメリカ占領軍による一連の日本改革は、どういうものだったろうか。ひとことでいうと、初期の占領政策の方針は、「日本に戦争を起こさせないように非武装化する」という意図と、「民主化の理想を実現させる」という意図が、混じりあったようなものだったといってよいと思う」

また、アメリカ社会や連合国から戦争責任を追求されていた昭和天皇を、マッカーサーは占領統治に利用するために訴追しないことを決め、その結果、象徴天皇制と第9条を軸とする日本国憲法ができあがった。もちろん「自由競争」を原理とする資本主義は前提とされている。

しかし1950年前後から、アメリカ占領軍の方針は大きく転換する。東西冷戦が激化するなかで、アメリカは日本を「限定的再軍備」させようと警察予備隊(後の自衛隊)をつくらせた。

「本音のところは、アメリカの手下になって動く日本軍をつくりたいということだ。そうなると、かつては日本を二度と軍事大国にしないために、アメリカ側から提示した憲法第9条が、こんどはアメリカにとってじゃまになってきたわけだ」

1951年のサンフランシスコ講和会議で、日本はアメリカと日米安保条約とセットになった講和条約を結んで「独立」した。ここで大事なことは2つ。アメリカは占領軍から在日米軍へと名前を変えて国内(特に沖縄)に軍事基地を確保したこと。さらに日本を後方補給基地として経済再建するために、各国に賠償請求権を放棄させたこと。

「つまり、戦後の「日本という国」のあり方は、アメリカの方針転換にあわせて、かたちづくられてきた。……戦後の日本は、アメリカの忠実な同盟国、もっとはっきりいってしまえば<家来>になることを選ぶことによって、経済成長に成功したわけだ」

こんなふうに枝葉を取り払った歴史の幹だけ取り出してしまうと、ずいぶん身も蓋もない「国のかたち」だけど、確かにそうには違いない。しかし<家来>であることを選んだことで、日本は内外に色んな問題を抱え込むことになった。

ひとつはアジアとの賠償問題。講和会議では、侵略によって直接の被害を受けたアジア諸国の大半は賠償請求権を放棄しなかったし、そもそも中国や韓国は会議に招待すらされなかった。そこで「独立」した日本は各国と個別に交渉を進めたが、ここでもまたアメリカの圧力がものをいう。

交渉は、日本をアジアの工業国にするというアメリカの戦略に沿って、アジア諸国は請求権を放棄させられたり、経済援助や技術協力という日本経済の復興と日本企業のアジア進出を手助けするかたちで進められた。この戦後賠償については、僕もよく知らなかった。この小さな本で教えられたことが多い。

いまひとつは、支配層を含む日本国内にアメリカに対する屈折が生まれたこと。

「日本の保守政治家にも、いろいろな要求をつきつけてくるアメリカへの不満はあるはずだ。しかし、正面きってアメリカに文句をいうことは、なかなかできない。おそらく彼らは、「日本の誇り」が傷つけられたと感じているだろう」

でもその不満と「誇りの回復」はアメリカに向かわず、ねじれたかたちでアジアに向かった。靖国参拝や教科書問題、従軍慰安婦問題、北朝鮮に対する政府の姿勢や、それを支持する意見を聞いていると、<家来>ゆえの不満や屈折を裏返した「強硬姿勢」が感じられてならない。

「しかしそんなことをすれば、アジア諸国との関係はますます冷え込む。はたから見れば、自分より強い相手には文句がいえないから、弱そうな相手に八つ当たりしているようなものだから、それも当然だ。そうなれば、冷えこんだアジア諸国とのあいだを取りもってもらうために、日本はますますアメリカに頼るしかない……これでは悪循環、いわばナショナリズム・スパイラルだ」

とすれば、拉致問題やミサイル発射についての北朝鮮への強硬姿勢(拉致や核開発自体は許しがたいことだが)、あるいは靖国をめぐる中国への反発といったナショナリズムの高まりは、「日本という国」の戦後のあり方の根底にかかわる根の深い問題ということになる。

もっとも、小熊英二はここで答えを出そうとしているわけではない。ただ、近代日本の原理とそのあり方をエッセンスだけ取り出すことによって、問題の所在を単純かつ簡明に示し、そこからどう考えてゆくべきかの羅針盤の役割を果たすことができるだろう。

最後の一文。「さあ、これで話はおしまいだ。これからの「日本という国」をどうするのがよいか、それは君自身が考えてほしい」(雄)

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