ウソをつく生きものたち【森 由民】

ウソをつく生きものたち


書籍名 ウソをつく生きものたち
著者名 森 由民
出版社 緑書房(176p)
発刊日 2022.05.16
希望小売価格 1,980円
書評日 2022.08.17
ウソをつく生きものたち

本書のタイトルを見た時、一瞬「人間」の話だと思ったが、動物たちが生きるため、子孫を残すために様々に進化してきた様子を紹介している一冊。著者の森は「動物園ライター」と自称しているように、生物学を学び各地の動物園や水族館を取材してその特徴や楽しみ方をメディアに発信している。また、映画や小説などに登場する動物に対する見方や表現について批評をするといった活動をしており、単なる動物好きという一言では片付けられない、生物学と日常の動物達を結び付けている人といえる。

「ウソをつく」という言葉に囚われてしまうと、言葉の定義の迷路に入り込んでしまうが、私は動物が「ウソをつく」ことはないという理解をしていた。逆に言えば「ウソをつく」のはヒトの特徴で同種の相手(人間同士)を騙したりする悪賢さがヒトのヒトたる所以という理解だ。しかし、本書を読み進むと多様な生物が進化して行く中で身に付けていった「擬態」「警告色」「鳴き声まね」等の特徴は「ウソ」というよりは「知恵」であり、進化の面白さを再認識させられた。ページをめくりながら、捕食する側、捕食者から逃げる側の各々の立場からの進化の結果を読み通してみると、知っているつもりの知識や理解が断片的であるということも判らせてくれる。そうした生き物たちの「知恵」とは、自身を守る「擬態」・「偽死」について、捕食者側の「擬態」、「托卵」や「鳴き真似」、そして、同種生物間の騙し合い、ヒトとイヌの特別なコミュニケーションなどがテーマになっている。生物学の学び直し的読書としてもなかなか興味深い一冊である。

自らを守るための「擬態」として、「ウリ坊」の縦縞模様は草むらに隠れてキツネなどの肉食動物から身を隠しているのだが、あの縦縞模様の擬態はマレーバクの子やダチョウ、ヒクイドリ、エミューの雛などにも見られる一般的な「擬態」とのこと。また、「狸寝入り」についても述べられている。狸は敵に遭遇すると「偽死」といわれる、突然死んだようになる。これも狸だけでなく、アナグマやオボッサムで見られる反射的な行動であり、「死んだふり」ではなく、ショックを受けると身体が固まり呼吸や脈拍まで遅くなるというカモフラージュの一種。しかし、なぜそうするかは、「偽死」により敵が驚いて逃げてくれればラッキーということのようだから、なにやらギャンブル的であるので成功確率も知りたいところである。

また擬態と言っても身体の一部だけをまねるパターンもある。一番多いのは「目玉模様」。蝶や蛾、カエルの仲間、魚類にも目玉模様が認められるが、本物の目や頭が攻撃されると致命傷になることから、捕食者からの攻撃を急所から外すという効果がある。捕食者の錯覚を誘い、攻撃を急所から外すという効果があると聞くと進化の意味の深さを感じる。

人間は果物を選ぶときその色で選ぶ。同じように果物を食べる鳥や霊長類の色彩の識別能力は高い。蜂はまわりに溶け込むカモフラージュではなく、黄色と黒の縞模様で「自分は針を持った危険な存在」であることを蜂の捕食者である鳥類にアピールする「警告色」で攻撃と防御の姿といえる。

カラスの「黒」もまた、警告色の一つ。日本をはじめ世界各地でいろいろな鳥料理はあるが、カラスを食する文化はないという事実。また、捕食者であるワシやタカもカラスを積極的には狙わないということを考えると、「警告色」は全ての動物に対して等しいメッセージを発信しているという事なのか。また、毒を持った蝶と同じ姿に進化した「無毒」の蝶のような擬態もある。しかし、こうした「警告色」をもつ無毒の生き物たちがその姿に進化する過程で、捕食者たちがその模様は「毒」と知るためには常に幾つかの個体が捕食されることが必要である。生き物にとって進化の有利・不利の判断基準は種にとってではなく、個体にとって有利か不利かによって決定される。もう少しその議論を進めると、仲間の為に犠牲になるような性質を持つ個体と他の個体の犠牲を上手く利用して生き残る性質を持つ個体を比較すると、種としては後者の特性が優位というのも厳しい現実である。

生き物が擬態する率の変化は、捕食者の数によることが判っている。動物園などで捕食者のいない環境で飼育すると、世代を重ねるにつれて擬態個数は減少して行くという。擬態する進化とはかなりエネルギーがかかるので対価が無ければ変化して行かないという事か。

捕食者が無害の物に擬態するのは「羊の皮を被った狼」の言葉どおり。オコゼは海底の岩に擬態し、ワニガメはピンク色の舌をひらひらさせてミミズの様に見せて近寄ってくる小魚を捕獲する。鳴き声によるコミユニケーションは擬態の観点からの他の種の鳴き声を真似することがある。代表的なものとしてモズは10~20種の小鳥の鳴き声をまねて、小鳥たちを誘い、捕獲するという。「百舌鳥(もず)」の語源がそこにあるというのも納得である。

また、蟻の巣の中で異種昆虫(アブラムシ等)が「蟻客」と呼ばれる形で巣に共生するという。アブラムシはある種の麻薬物質を分泌して蟻に与えた対価として、蟻の巣の中で地中の植物の根を栄養素として取り入れるとともに、アブラムシを捕食する昆虫から守ってもらっている。まるで反社とのつきあいのようである。
 
こうした擬態の様々な進化を読んでいて、最も戦略的な擬態はカッコウの托卵だと再認識させられた。カッコウは交尾後に托卵できそうな巣を探し、宿主が排卵をして巣を離れたすきに元の卵を一つ巣から放り出して自分の卵を一つ産み落とす。ここまでは知識として知っていたが、カッコウの腹の白地に黒い模様は一見猛禽類のハイタカに似ているので、宿主がハイタカと錯覚して混乱する中で排卵するという。また、カッコウの卵は宿主の卵より1~2日早く孵化する。これはカッコウが体内抱卵といって体内で準備をすすめ、排卵から孵化までの時間を短くする仕組みを持っている。そして、他の卵より早く孵化したカッコウのヒナは孵化前の卵を巣の外に落とすという。単に他の鳥の巣に卵を産み落とすといった単純な話ではないことが良く判る。ここまで読んで、カッコウにとっての托卵とは「カッコウ自身の渡りの時期を早める」と説明されると、人間の感性で考える限界があることも理解出来る。

ヒト以外で同種の個体同士でだまし合いをする例がいくつか提示されている。たとえばカケスは食べきれなかった餌を地中に埋めるが、たまたま他のカケスに見られていたと思うと埋めた場所を変えるという実験結果があるようだ。また、チンパンジーの群れで仲間を騙すケースなどいろいろ提示されている。人間だけが「ウソをつく」わけではなさそうだ。

長い時間を共に過ごしてきたヒトとイヌの「共生」が最後のテーマである。イヌはヒトの指さしを理解出来るようにヒトの「情動」を理解するし、逆にヒトはイヌの「情動」を読み取る力を身に付けている。蓋をした容器に餌を入れてオオカミに与えると、ずっと自力で蓋を取ろうと苦闘する。一方イヌは途中で実験者と容器を交互に見て、ヒトの助けを求めて来る。こうした洗練された「ヒトとイヌの収斂進化」の結果が現在のヒトとイヌの関係を成り立たせている。そのイヌとオオカミの違いについての指摘が気になった。オオカミはつがいを中心とした家族の絆が強いが、イヌはつがいの絆を喪失しているという。それは進化なのだろうか。

「イヌよ、それでお前は良かったのか?」と聞きたくなってしまうのだが。(内池正名)

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