質屋の始まりはいつごろか<雑学倶楽部>



質屋の始まりはいつごろか<雑学倶楽部>

その場がど~んともりあがる雑学の本
とにかく話をつなげたい雑学<第3章>

質屋、またの名は一六銀行。

暮らしが豊かになっても、あるいはサラ金が氾濫しても、質屋はまだ路地の奥などに健在です。ただし、内情は苦しくて、個人経営のちんまりした店は減りつつあるとか。

これまで日本の庶民の台所を裏から支えてくれた質屋は、いったいいつごろから始まった職業なのでしょう。

農作物などを対象にして金銭を貸すようなことは、奈良時代にすでにあったようですが、現在のように職業として質屋が独立できたのは鎌倉時代以降のこと。

鎌倉時代には「土倉」といわれています。武士相手が多く、質草として刀剣類、茶わん、絹布あたりが利用されたようです。

期限はいろいろで、武具は2年、穀類となると半年、といったぐあい。

庶民相手の質屋が盛んになったのは江戸時代。生活に困った女房が泣く泣く着物を質に入れるのは当たり前として、大工職人が大工道具、芝居の一座が拍子木や太鼓、かごかきがふんどしと、商売道具まで質草にしたそうです。ふんどしを失ったかごかきは、やむなく股間を竹の皮で隠したとか。質草のふんどし、ちゃんと洗ってあったのでしょうかね。

シャレのわかる質屋になると、落語家の十八番の噺、連歌師のよく使う文字なんかをカタにとって金を貸したようです。うけ出すまで、彼はその噺を語れず、歌にその文字を使えないというわけですね。

「講談社+α文庫」所収

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