妾はいつまで公認されていたか


 昔お妾、近くは二号さん、愛人。

 正妻のいる男とあえて契約を結び、経済的な援助をしてもらうかわりに妻の役割(たいていはセックスが中心)を果たす女性のこと。ただし、最近の援助交際とは違い、定期的関係をいいます。

 日本では、ある時期までこうした存在が公認されていたのです。いまも一部の回教国ではこの習慣が残されていますが。

 では、日本のお妾はいつから公的に認められなくなったのでしょうか。

 まず明治13年(1880)、元老院で廃妾案が討議されたのですが、このときは成立せず。議員が案外にみんなお妾を持っていたのでしょう。ただ、「妾は15歳以上と決めよう」なんて話題が盛んになりました。ということは、当時の金持ちや上流階級に、いまと同じでロリコンが多かったのかもしれません。

 その後、明治15年(1882)にやっと刑法改正があって妾は非公認、さらに明治31年(1898)には民法の改正があって、あらゆる法律のうえからも妾という存在を否定したのでした。それでも非合法(?)で何人もの妾をかかえた人々がつづいたのは周知の通りです。

 黒岩涙香(『厳窟王』などを書いた作家で新聞経営者)は自らの新聞『万朝報』(「まんちょうほう」ともいう。明治25年創刊の日刊紙)で妾を持つ人々を名指しで500余名糾弾しました。伊藤博文、犬養毅、原敬ら首相経験のある政治家のほか、森鴎外(作家)、北里柴三郎(医学者)、5代目尾上菊五郎(歌舞伎俳優)といった文化、芸能人もヤリ玉にあげられています。

 正妻以外に女性を所有する制度は奈良時代からありました。本来の目的は子孫の存続。とくに江戸時代、大名の家で男子が絶えると幕府が「家名断絶、領地召し上げ」処置をとったために、殿さまはタネ馬となって何人もの妾に子どもを生ませたものです。

 庶民のあいだでも商家などで妾が大はやり。職業としてのお妾が成立したほどでした。もっとも、いまから十数年ほど前に流行した「愛人バンク」だって、ひどいのになると何人かの男をあやつり、「愛人」業で悠々と生活をしたそうですから、男女間のことは法律の埒外なんですね。

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