こころの散歩【五木寛之】

こころの散歩


書籍名 こころの散歩
著者名 五木寛之
出版社 新潮社(235p)
発刊日 2021.03.26
希望小売価格 1,705円
書評日 2021.06.18
こころの散歩

近所の本屋で新刊の棚を見ていたら、五木寛之の名前が眼に入った。考えてみると何十年も彼の文章に触れていない気がする。大学進学の前後に「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」を読んでいたことを思い出しながら「こころの散歩」と題された本書を手に取った。「週刊新潮」に掲載されているコラム「生き抜くヒント!」をまとめた一冊。五木は昭和7年生まれで米寿になるのだが、この「週刊新潮」だけでなく「日刊ゲンダイ」でも半世紀近くコラムを書き続けていると聞くとそのエネルギーに驚くばかりである。彼はこれらの文章をエッセイではなく「雑文」と称しながらも、こうした「雑文」を書くのが好きだと言っている。しかし、好きなだけで書き続けることは出来ないわけで、体力・気力ともに満たされた老境だろうと想像される。

30才台から夜中に原稿を書き、明け方に風呂に入って寝るという生活スタイルを続けてきたという五木も、コロナ禍の最近は、夜の11時ぐらいになると欠伸が出るようになり仮眠のつもりで横になったところ、そのまま朝まで寝てしまったことがあったという。それ以後は明るい陽射しの差し込む机の上で原稿を書くという生活スタイルに変化したと言っている。作家は本来自由業であることを考えると、日々拘束されている通常のサラリーマンの退職後の生活パターンの変化とは異なり、自らの心身の状況で生活パターンが決まるという意味では、年とともに変化し続けるのだろう。こうした、現在の自身の生き方や考え方を書き綴りながら、多様な思い出を語り、昭和と令和を行ったり来たりする本書は、私のような団塊の世代には実感とともにその時代観を感じられて面白いのだが、特に若い世代の読者にどんな刺激を与えられるかは興味のあるところ。

私たちが使い慣れていた言葉でも、今となっては死語になってしまった言葉は多い。男女二人連れが居たので「アベック」と言ったら、連れの若者から笑われたというエピソードにしても、こうした世代間ギャップは、文化の変化とともに必然的に起こるものだし、だからこそ、「トランジスターグラマー」「がいとう(外套)」「チャック」「社会の窓」などの言葉を思い出して私たちの世代は面白がる。こうした時代を共有出来るのも、著者の世代の活躍を同じ時間軸で見てきた団塊の世代の特権なのだと思うのだ。

こうした、消えて行く言葉とともに、「春歌」もまた消えて行くと書いている。自身の父親たちの「偎歌」や九州の炭鉱地帯の「春歌」を紹介しているが、伏字が多いのも仕方ないこと。男なら、誰でも若い時に「春歌」の一つや二つは歌っていた。私も記憶の奥にある「春歌」という引き出しを久しぶりに開けてみて、「おっぴょ」という「春歌」を仲間とゲラゲラ笑いながら歌っていた時代を思い出した。「一ひねりした歌詞のユーモア」と「成長期の自分」があっての「春歌」なのだと思う。それだけに、「春歌」とは過ぎ去った記憶に止めることに意味が有るのだと納得する。70代の爺さんが口ずさんでも面白くもなんともない。

昭和20年代の国民の「笑い」の中核だった三木鶏郎に対する五木の思いはいささか複雑だ。NHKラジオの「日曜娯楽版」は三木がプロデューサー、作詞・作曲、コント作家として取り仕切り、永六輔や野坂昭如などの若手が集って制作されていた。しかし、彼らの「冗談」と「批判精神」は、1954年(昭和29年)の造船疑獄事件を番組内で風刺したことにより政府からの批判を受け、番組の改編に繋がった。五木はこの騒動についてのタイトルを「冗談が死んだ日」と題しているのも象徴的。

また別のコラムでは、次の時代の転換点として五木が出演していた番組、「遠くへ行きたい」について語っている。この番組は、1970年に当時の東京放送のディレクターが独立して作ったテレビマンユニオンによって制作された。テレビマンユニオンは1967年の田秀夫のベトナム戦争報道に対する政府からの圧力などが原因で報道局の萩元晴彦、村木良彦、今野勉などが東京放送を退社して立ち上げた会社だ。この「遠くに行きたい」に永六輔、伊丹十三、野坂昭如などが交代で出演し、各地を紀行するドキュメンタリー。五木は6本ほど出演していたという。この「遠くに行きたい」を支えたメンバーを見ると、あの「話の特集」の編集者グループであることに気付く。

その「話の特集」を通じての野坂昭如への思いは深い。「野坂がいることで、私は仕事を続けることが出来たと改めて思う・・・・彼と反対の方向に歩いて行けばいいと自分に言い聞かせていたからである」と語っている。また、酔った野坂が五木を前にして「野坂と五木の間には、深くて暗い河が有る」と「黒の舟唄」の節回しで歌っていた思い出を語っている。それほど異なった性格の二人が反対の方向に歩いても、違いを違いとして評価し合ってお互いの才能を伸ばしていったという羨ましい関係であることが良く判る。そして、昭和の歌について、本書でも幾つかの文章が書かれて五木が係わった歌手や番組の思い出は面白い。

老いの問題への考察は、今の私の課題でもあり面白く読んだ。老いること自体が問題なのではなく、老いた後の生き方が難しい。五木はそれを「世間とどう折り合うか」という言い方をしている。「孤独」こそ、「老い」「死」「死後」といった人生の後半のテーマの底流であると言っている。生活の中の「孤独」感とは、「和して同せず」が孤独であり、つまり二人でいても孤独はあり、大勢で居ても孤独はある。確かに、「皆と一緒に一人でいる」という孤独感覚は良く判る。人のために活動することもあれば、人を頼ることもある。声を掛けたり掛けられたりしながら、「仲間」と「孤独」の間を行き来しながら自由を楽しんでいる。換言すると「楽しさ」の共有を相手に強要しないという意味での孤独なのだろう。そんな思いに至った。

そうした、人生の後半を語りながら、私たちが親から相続してきたものについて書いている。考え方や生き方といった形のない「こころの遺産」や、思い出の「物」もある。老人が身の回りに古いものを置きたがるのは、それがノスタルジーの引き金になるからという五木の言葉に対して、納得と反論が頭に浮かんだ。

生き様については父から受け継いでいるものもあるが、敢えて父の期待に反したところもある。また、私は「もの」にそう執着しない方だが、大学卒業時に「お前に金を掛ける最後だ」と言われながら父に買ってもらった機械式腕時計は今も現役。そして、母の形見の帯留めを作り直したピンバッチ。その二つを身近に置いている。それが両親のノスタルジーだとも思わないが、二人に見張られている感は否めない。

本書を読み進んで行くと、週刊誌のコラムとして毎週読んで行くのとは違った読み方になることに気づく。それは各コラムを時系列に並べるのではなく、ある種のカデゴリーに区分して章立てとすることで、五木の意図はより明確になって行く。本書で言えば「夜に口笛を吹く」「ノスタルジーの力」「こころの深呼吸」といった章立てでまとめられている。

五木の最初の小説である「さらばモスクワ愚連隊」はジャズ、社会主義国家の若者、日本の政治といった興味深い要素が全て入っている作品であったが、当時の私は小説のストーリーにのめり込むことは無かった。それほど、殺伐とした学生生活だったし、全力で生きていた時代だったと私は勝手に納得している。そして、半世紀が経って、本書を読みながら、あの時代を懐かしむことはあっても、今ならこうするのにといった反省は浮かんでこないという、楽しい時間旅行であった。加えて、これから迎える後期高齢者の一つの姿を五木に見せてもらったという読書だった。(内池正名 )

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