「卍」の年代
1834(天保5)〜1849(嘉永2)

天保5年、数え75歳を迎えた北斎は風景絵本『富獄百景』初編の跋文で、初めて「画狂老人卍」の号を用いている。為一年代に名声を得ていた錦絵から急速に遠ざかり、最晩年の気力を肉筆画の分野に注ぐことになる。浮世絵師の本分である風俗を描く世界から離れ、和漢の故事事典や宗教的題材、また動植物に基づく作品が大半を占めるようになる。肉筆画以外でも、読本や絵本、自らの画法を開陳する絵手本の出版も見られ、最晩年に至ってなお制作意欲を失わなかったことが窺いしれよう。



1834(天保5) 75歳 ▽絵本「富嶽百景」初編(75齢 前北斎為一改 画狂老人卍筆)


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  錦絵「東海道五拾三次之内」(歌川広重)
1835(天保6) 76歳 ▽絵本「江戸流行 料理通」4編(八百屋善四郎著 前北斎為一筆)

▽横大判「百人一首うはかゑとき」28枚刊(前北斎卍)この頃か

  老中・水野忠邦

  人情本・滑稽本がはやる

1836(天保7) 77歳 ▽肉筆画肉筆画帖全10図(前北斎為一改 画狂老人卍筆 印=富士)この頃か

▽絵手本「諸職絵本 新鄙形」(前北斎為一改 画狂老人卍筆)

  全国で一揆・騒動が多発する
1837(天保8) 78歳 ▽地誌「日光山志」(植田孟縉編 画狂老人卍写意)
  大坂で「大塩平八郎の乱」が起こる
1838(天保9) 79歳 この年の刊本「新編水滸画伝」に“病床ノ画”と書き込まれた挿絵が見られる
  好色本・絵本類の店頭販売が禁止される
1839(天保10) 80歳 達磨横町で初めて火災に遭い、多くの縮図を焼失するという

▽肉筆画「猫」(画狂老人卍筆 齢80 印=葛し可)

  「蛮社の獄」(渡辺崋山、高野長英ら弾圧)
1840(天保11) 81歳 本年、房総方面へ旅するか

▽肉筆画「椿と鮭の切身」(画狂老人卍筆 齢81 印=葛し可)

  勘定奉行遠山景元、町奉行となる

  谷文晁没(享年78)

1841(天保12) 82歳 ▽絵手本「絵本早引 名頭武者部類」(北斎改葛飾為一筆)
  水野忠邦を中心に「天保の改革」が始まる
1842(天保13) 83歳 「日新除魔」と題して、日課に獅子・獅子舞の図を描き始める

▽肉筆画「扇面 秋草」(画狂老人卍筆 印=葛し可)

  為永春水、手鎖の刑に処せられる

  柳亭種彦没(享年60)

1843(天保14) 84歳 信州小布施の高井鴻山に書簡を宛てる(4月21日付および8月9日付)

▽肉筆画「猿橋橋上角兵衛獅子」(八十四老卍筆 印=葛し可)

  平田篤胤没(享年68)

  為永春水没(享年54)

1844(弘化元) 85歳 ▽肉筆画雪中筍狩(画狂老人卍試筆 齢85歳 印=葛し可)

信州小布施で東町祭屋台天井絵の制作にあたる

  間宮林蔵没(享年65)
1845(弘化2) 86歳 ▽奉納額「須佐之男命厄神退治之図」(前北斎卍筆 関東大震災で焼失)

信州小布施で上町祭屋台天井絵ほかの制作にあたる


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  江戸・青山火事

  幕府、水野忠邦らを処罰

1846(弘化3) 87歳 ▽肉筆画「かれい めばる さより」(八十七老人筆 印=富士)
1847(弘化4) 88歳 ▽肉筆画「羊」(弘化四丁未年正月元旦 画狂老人卍試筆 齢88歳 印=葛し可)
  善光寺大地震
1848(嘉永元) 89歳 門人・本間北曜と浅草の仮宅で面談する(6月)

▽絵手本「絵本彩色通」初・二編(画狂老人卍筆)

  池田英泉没(享年58)

  滝沢馬琴没(享年82)

1849(嘉永2) 90歳 ▽肉筆画富士越龍(嘉永二己酉年正月辰ノ日 九十老人卍筆 印=百)ほか

春頃、病床に臥し、4月18日、浅草聖天町遍照院境内の仮宅で没する(享年90) 辞世「非と魂でゆくきさんじや夏の原」

  外国船が頻繁に近海に出没する


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