もういちど読む山川日本史【五味文彦、鳥海靖】

もういちど読む山川日本史


書籍名 もういちど読む山川日本史
著者名 五味文彦、鳥海靖
出版社 山川出版社(354p)
発刊日 2009.09
希望小売価格 1,575円
書評日等 -
もういちど読む山川日本史

高校時代の日本史といえば、教科書は山川の「詳細日本史」、問題集は昇龍堂の「日本史難問集」だった。先日、ねぼけまなこで朝刊を見ていると本書の広告が掲載されていた。「再発見 高校教科書、高校の教科書を一般読者のために書き改めた通史。日々変化する現代の日本をとらえ、ニュースの背景がわかる社会人のための教科書」とある。懐かしさもあり早速購入しようとしたら売り切れ。失礼ながら売り切れるような本ではないと思っていたので驚きである。3週間ほどたって入手したところ、早くも第二刷。こうした本が売れるというのは「受験戦争の真っ只中にいた団塊の世代がだんだんと仕事を終えて、もう一度若い頃の教科書に戻ってくる」という出版社の企画にまんまと嵌まってしまった結果のようでちょっと悔しい。

さて、手にしてみるとずいぶんシャレた装丁で、当時の教科書の妙に暗い茶色の表紙に比較すれば明るい感じ(ちなみに同じ山川の世界史は青)がする。まあ、表紙はともかく、読み進んでいくといくつかの点でオヤッと思うところが出て来る。40年以上の時代の差があるのだから「変わっていないこと」と「変わってしまったこと」にいろいろと気づく。

最初の数ページはカラーの図版で資料・文化財・史跡の写真が掲載されている。「変わっていない」のは正倉院御物の「鳥毛立女屏風」と「螺鈿紫檀五弦琵琶」が堂々と掲載されている。写真を見るだけでも懐かしい。私はこの二つの文化財は素晴らしいと思うのだが、教科書でお目にかかって以来、目にしていないというのが少し悲しいところである。

「変わってしまった」のは史跡の新たな発掘で追加された資料や情報などは多いのは当然として、人物肖像画の扱いは大変化だ。聖徳太子像や鎌倉幕府の誕生となれば出てくる有名な「源頼朝像」の肖像画がともに研究の結果諸説が出て通説がゆらぎ、現在では「伝聖徳太子像」「伝源頼朝像」と記載されている。そして、「足利尊氏像」として教えられた騎馬に乗った武者像にいたっては「伝足利尊氏像」という記載は注釈でしかなく、本文中では「騎馬武者像」となっている。この図の説明は以下の通り。

「騎馬武者像 : 兜もかぶらず、刀をぬいて馬上にまたがった姿、この合戦によって折れた矢、これらはこの武将の苦戦と勝利のありさまをよく物語っている。(京都 守屋氏蔵)」

「足利尊氏像」であるからこそこの絵を教科書に載せていたと思うのだか、単に騎馬武者像を限られた本文の中で取り上げる意味があるのだろうか。はなはだ疑問である。

本文に入り、戸惑うのは年代表記の変化だと思う。

「地球上に人類があらわれたのは、今から約500万年前の、地質学でいう鮮新世のはじめごろで、これに続く更新世にかけて人類は発展した。・・・宗谷・津軽・対馬などの海峡によって切り離されたのは、今から一万年前の、地質学でいう完新世にはいったころである」

説明によると、「洪積世」「沖積世」という区分はドイツ地質学の流れの用語で、現在は欧米学会用語の「更新世」「完新世」という区分を使用しているとのこと。「更新世」とか「完新世」という言葉は日本語としてかなり違和感があるし、ドイツ地質学の流れから学会の用語に変更というものの、それは我々が高校生の頃にはもう明らかになっていたことではないのか。要は日本の地質学界の体質の旧さなのか。他の学問で同じ様なことが起こっているとも思えないのだが。

歴史区分については「原始・古代」「中世」「近世」「近代・現代」という章立てが採用されている。これには違和感はないのだが、今回読んで気の付いたのは、近代の歴史区分を大政奉還や明治維新としていない点だ。本書では近代の記述は「黒船来る」という項目からスタートし、「攘夷から討伐へ」「明治維新」と続いている。黒船来航(1853)、日米和親条約締結(1854)、大政奉還(1867)、明治維新(1868)というイベントのどこを近代の画期とするかは議論のあるところだとは思うが、その時代区分の萌芽である歴史的イベントにより強く注目している。これは近世においてもその考え方が顕著に示されている。こうした点は教科書(編者)によって特徴が出ているものなのだろうか興味のあるところである。

また、以前の教科書に記載されていなかったと記憶するが、各時代におけるテーマを選択して解説をつけているのがなかなか面白い。全体では「清少納言と紫式部」「蒙古襲来」「仏像の作り方」「三行半と駆け込み寺」など43の解説コラムが載っていて、教科書部分に比較するとよりイキイキとした文章のように思える。例えば、中世武士団における女性の地位についての記述「女性と家」では、

「・・・当時女性はおさないときからの童名や通称でよばれた。そのため土地を売買するときに作成する売券(ばいけん)などに署名する際は、『源氏女(みなもとのうじのにょ)』とか『平姉子(たいらのあねのこ)』など、氏姓と女子であることを示す名前とが記された。結婚後も、父と同じ氏姓を称した。結婚後の女性は、出産や子の養育、家中の経営など、さまざまな形で家と強くむすびついていたため、家への従属をまねきがちであった。しかし、父母からゆずられた土地は異性の財産で家から独立しており、家の中での妻や母の地位は安定していた。」

と、教科書的な史実詰め込み型の文章に比較するとなかなか勉強になる内容だ。

懐かしさであっという間に通読してみたものの、教科書を通史として単に読んでいくというのは邪道なのだろうと痛感する。仮にそう読んだとしても社会人にとって教科書はあまりに大掴みすぎて深みは無く、歴史理解としての意味はさして大きくないと思う。やはり、教科書は教師が説明しながら生徒に取り上げられている歴史を膨らませて語ることが必須なのだ。授業があってこその教科書だし、取りも直さず、教える側の教師の質が問われるということだと思う。

中学・高校を通して、ある教科が好きになるか、ならないかはけして教科書の優劣に依存するのではなく、教師にかなり依存するというのも事実である。教え方一つでその授業が好きになり、科目が好きになる。ということは山川の日本史をまた読んでみようと思い立たせた、小生の高校時代の日本史の教師が素晴らしかったということか。高校を卒業して40年以上経った今、日本史の「富井」先生に感謝である。(正)

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