イベリコ豚を買いに【野地秩嘉】

イベリコ豚を買いに


書籍名 イベリコ豚を買いに
著者名 野地秩嘉
出版社 小学館(253p)
発刊日 2014.03.31
希望小売価格 1,620円
書評日 2014.07.16
イベリコ豚を買いに

著者の野地秩嘉を知ったきっかけは、2003年頃に海外出張の折にJALの機内誌で目にした紀行文だ。ベトナム戦争時にサンケイ新聞特派員としてサイゴンに赴任していた近藤紘一が書いた「サイゴンから来た妻と娘」(1978年刊)をトレースする形でサイゴン・バンコック・パリを巡り、近藤と家族となったベトナム人母娘の足跡を辿ったもの。そこでの野地の表現する各地の空気感の精緻さと、人々に対する穏やかな目線が、近藤のそれと重なり、日本という小さな視点から解放されるような気分で読んでいたことを思い出す。野地はノンフィクション作家という枠をはるかに超えて「日本一のまかないレシピ」といった本までも手掛けていることもあり、てっきり本書は「イベリコ豚」を使って、自分なりのユニークなレシピで美味い料理を作ってみた、というものなのかと思っていた。ところが、読んでみれば、単なる「豚肉」ではなく「豚そのもの」をスペインまで買いに行き、行きがかり的に日本でハムの商品化を実践するという壮大な話なのだ。

日本では、この10年ほどの間に「イベリコ豚」というブランドは、「どんぐりを食べて育った豚」というキャッチコピーとともにしっかりと定着した。野地が本書を書こうと思ったきっかけも本物の「ドングリを食べて育った豚」の生ハムを食べた際の感動からだと言っている。さすがにノンフィクション作家だけに単なる好奇心にとどまることは無く、イベリコ豚を学ぶという姿勢に昇華していき、その取材の徹底ぶりに彼の作家根性を見ることが出来る。口蹄疫が発生した時期ということもあり、スペインの農場や加工工場は日本からの「取材」はなかなか受け入れてくれなかったのだが、それでも「取材」ではなく、「買付」のためにスペインに行くという発想に切り替え、5年がかりで製品化する。著者の言葉を借りれば「ノンフィクション作家が肉屋を兼務することになった」顛末記である。

まず自身の「イベリコ豚」に対する誤解や偏った知識に気付かされたことが語られる。例えば、「どんぐり」と一口にいってもイベリコ豚が食べるのはエンシーノというセイヨウヒイラギ樫やコルク樫の実であるが、すべてのイベリコ豚が「どんぐり」を食べて育っているわけではない。イベリコ豚とは、イベリカ種という現在ヨーロッパに残っている唯一の放牧豚であり、イベリア半島中・南部に住む種を言うのだが、現在のイベリコ豚は第二次大戦直後の交雑による品質低下の結果を反省して、しっかりと管理されているようだ。それは、母豚が純粋イベリカ種であるとともに、種豚が純粋イベリカ種もしくはデュロック種であることと定められている。

これらの仔がイベリコ豚と称されるのだが、飼育方法と餌によっても分類されていて、純粋イベリカ種でどんぐりを食べさせて育てられたものを「ベジョーダ」といって最優良種とされている。次が純粋イベリカ種であるがどんぐりではなく管理された餌で育てられたものは「セボ(給餌)」と呼ばれている。この二種類のイベリコ豚の個体金額差は大きいのだが、日本では大雑把に「イベリコ豚=どんぐりを食べて育つ」という誤解が定着してしまっている。ここまで、読んで、とある生ハム専門店を覗いてみたら「ベジョーダ」の腿の生ハムがドーンと吊るされていて、一本40万円という値段にビックリしてしまった。

「イベリコ豚の特徴として、良いところは生産効率が非常に悪い」と逆説的に紹介されている様に、通常の養豚では、仔豚たちは約6ケ月で体重110-120kgになり出荷される。これに比してイベリコ豚は7月頃出産し、3ケ月たったところで骨格のよいものを選別して一年間は最低限の餌を投与して育てる。翌年の11月頃にどんぐりが実ってから放牧される。ここで無制限にどんぐりを食べることで一気に体重が増加し、満18ケ月で体重180kgに達して出荷されるという。期間で3倍を要するだけでなく、一頭のイベリコ豚を育てるには1トン以上のどんぐりが必要で、そのために一頭当たり2-3ヘクタールの樫の森が必要になる。

別の言い方では、東京デズニーリゾート20個分に200頭放牧というレベルである。この非効率さと共に、放牧だけに自然界が餌をコントロールしているというのが特徴なのだ。それだけ、手間をかけて育てられる豚肉の特徴は、「イベリコ豚は脂肪を筋肉組織内に浸透させる能力に長けていると言われ、内繊維の中に脂肪交雑が多く見られることが普通の生ハムよりもはるかに長い熟成期間(2-3年)に耐えうるものである。それがイベリコ豚特有のナッツのような風味につながる」

豚の味は、種類と餌と育て方で決まるといわれるが、イベリコ豚はその三点からいっても独特なものである。それだけに生産量は極めて限られている。結果として限定的な数量の生産であっても極めて高い値段がついてスペインから輸出されているという事実から、野地はTPPのような自由競争を前提とした関税枠組みであったとしても、否定的に考えるだけではなく、日本固有の高付加価値農畜産モデルもいろいろ成り立つ余地があることを、イベリコ豚のケースから示唆している。

スペインにおける食文化のエピソードが語られているのも面白く読んだ。その一つが生ハムの食べ方である。

「女性が白い皿にベジョーダの腿から切り取られ切片を並べていった、・・ではと手を出そうとしたら『ノー』と制せられた。生ハムは常温で温め、脂肪が溶けてから食べるものです。脂肪が溶けださない生ハムは質が良いとは言えない」

それだけ、豚の脂肪の融点は牛肉に比較して低いのだという。脂肪の融点を評者は気にしたことは無かったのだが、牛、豚、鶏の脂肪融点比較や各油脂のカロリー比較など面白い検証がされている。また、肉の部位を切り分ける際の日本と欧米の違いの指摘も面白い。

「日本の肉の切り分け方は牛も豚も繊維を断裂するようにカットします。肉繊維を直角に切るから、切り口から肉汁が流れてしまう。・・スペインでは筋肉の単位を部位として100種類(日本では16種類)ぐらいに切り分けていくので繊維を断裂させることが少ない。調理も部位そのままフライパンで焼き目をつけ、オーブンに入れると肉汁は肉の繊維の中に保持される。・・・逆に、日本人は魚をおろして刺身にするとき、三枚に下ろしたり、大きな魚であれば背側と腹側を切り分けるが、欧米人は魚を切ると言えば内臓を抜いて筒切りにするしかしない」

我々日本人の「肉」に関する知見は欧米の肉食文化圏の人々に比較して限られているし、肉食の歴史も浅い。まさに、素材の特性を知り尽くして調理する歴史は長く、蓄えられた知恵に依存している食文化差異を教えられることが多い。

そして、イベリコ豚をスモーク・ハムとして製品化する仕事を通して、野地は新たな「仕事の本質」を見たと指摘している。それは、ノンフィクション作家・野地が今まで見てきた多くのビジネスの成功談とは異なる観点である。

「商品企画、製造、販売、管理、仕入れ、等を通して、各々のプロ達の仕事は、距離がいかに離れていても、毎日・何度もお互い確認しながら仕事を前に進める。そのために連絡を絶やさず、他人からの異論が出たらやり直してみる。それだけ、情報レベルの均一化を行っている。・・・仕事が出来る人とは、すぐに連絡がつく人で、しかも自分の考えに執着しない人だ・・・仕事の本質とは膨大なディテイルの積み重ねなのだ。そして、この膨大な手間をいかに短時間で形にして迅速にマーケットに投入することが出来るのかが勝負の分かれ目なのである」

こうした気づきこそ野地の謙虚さというか目線の優しさの結果だろう。本来仕事とはその完遂の為に、多くの「人」に依存するものだ。だからこそ、大量生産が出来ない商品や製品は沢山ある。イベリコ豚もその手の商品だ。しかし、経営は時として「量」に果てしない魅力を感じてしまう。売上や利益の魅力は大きなものである。しかし、大量に均質なものを作るというのは、もはや「仕事」ではなく「作業」であるというのは、いつの世にも当てはまると思う。「仕事」によって新たな価値を生み出していくことこそ日本の得意技だったはずだ。その生産の原点を再度見つめる機会として本書の意味は大きいと思った。(正)

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