「戴斗」の年代
1810(文化7)〜1820(文政3)

北斎は文化7年に、「戴斗」の号を用いるようになった。引き続き読本の刊行がみられるものの、文政3年までの年代を特徴づけるものは、絵手本への注力である。絵手本とは、門人や私淑する者たちに向けた習画のための版本であるが、次第に範囲を広げて、デザイン・図案集といったものも加わってくる。



1810(文化7) 51歳 この頃から、戴斗の号を用いる
  三代・瀬川菊之丞没(享年60)
1811(文化8) 52歳 ▽肉筆画「鎮西八郎為朝図」(葛飾北斎戴斗画 印=雷震 曲亭馬琴讃)
  滑稽本「柳髪新話浮世床」初編(式亭三馬)
1812(文化9) 53歳 秋頃、名古屋に滞在し「北斎漫画」の下絵を描く

▽絵手本「略画早指南」初編(序文に鏡裏庵梅年と署す)


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  江戸の三富(谷中・感応寺ほか)

  勝川春好没(享年70)

1813(文化10) 54歳 ▽肉筆画「鯉と亀の図」(北斎画 印=亀手蛇足 北斎の添書あり)

▽読本「北越奇談」(橘崑崙茂世作 葛飾北斎補画)

1814(文化11) 55歳 ▽絵手本「北斎漫画」初編(葛飾北斎筆)文政2年に9編、10編 以降、15編まで刊行


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▽絵手本「略画早学」前編(自序に山水天狗末弟天狗堂熱鉄述とあり)

  「南総里見八犬伝」初輯(馬琴作、重信画)

  歌川豊広没(享年80) 

1815(文化12) 56歳 ▽読本「皿皿郷談」(曲亭馬琴作 前北斎戴斗筆)

▽絵本「踊独稽古」(葛飾北斎画編 藤間新三郎補正)

  合巻「正本製」初編(種彦作、国貞画)

  鳥居清長没(享年64)

1816(文化13) 57歳 ▽絵手本「三体画譜」(北斎改葛飾戴斗画)
  山東京伝没(享年56)
1817(文化14) 58歳 名古屋西掛所境内で120畳大の達磨半身像を描く(10月5日)
  イギリス船、浦賀に来航
1818(文政1) 59歳 ▽肉筆画扇面 桔梗(北斎戴斗筆 印=ふもとのさと)文化後期か

▽肉筆画「屏風 七小町」八曲一隻(北斎改戴斗 印=亀毛蛇足)文化年間か

  伊能忠敬没(享年74)

  司馬江漢没(享年72)

1819(文政2) 60歳 ▽絵手本「画本早引」後編(前北斎戴斗筆)

  本年、戴斗号を門人・斗円楼北泉に譲るか

  勝川春英没(享年58)


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