今月の本棚

「敗因と」

金子達仁・戸塚啓・木崎伸也著
光文社(304p)2006.12.20

1500円+税
ジーコ・ジャパンがドイツ・ワールドカップで1勝もあげられずに予選リーグで敗退したことを、誰もが忘れたがっているように見える。僕だってそうだ。決勝トーナメントに進んでくれるにちがいないと誰もが期待していただけに、失望した記憶を思い出すなんてちっとも楽しい作業じゃない。

忘れたいというのは、愉快でない記憶はなかったことにしたい、起きなかったことにしたいという、人間が本能的に不快を避けようとする心理の働きだろう。でも、失敗を忘れるのではなく逆に意識化して、なぜ失敗したのか、そうならないために何をしなければならないかを考えなければ、失敗から学んで経験を蓄積することはできない。

『敗因と』は、金子達仁と2人の若いスポーツ・ライターがジーコ・ジャパンの「崩壊」をさまざまな角度から跡づけ、なぜそうなったのかを分析した一冊。多くの読者が避けようとするテーマをあえて取り上げた著者たちも、刊行した出版社も、勇気ある行動というべきか、それともコアなファンなら必ず興味を持つはずというしたたかな計算があったのか。

プロローグは、テレビ中継を見た誰もが記憶している場面。最終ブラジル戦に負けた後、中田英寿がグラウンドに倒れ込んで長いこと起きあがれなかったシーンから始まっている。ほとんどの日本選手が中田に声もかけなかった異様さは、このチームに一体感がまったくなかったことを誰の目にもはっきりさせた。

中田に加えて黄金世代と、過去の日本代表と比べても抜きんでた才能を集めたジーコ・ジャパンが、なぜそんなことになってしまったのか。無論、敗因はひとつではない。そのいろんな要素と局面を、10章にわけられたこの本はさまざまに分析している。

例えば代表の宿舎での食事風景が描写されている。用意された3つのテーブルにつく選手は、いつも同じメンバーになった。小野、稲本ら黄金世代のテーブル。宮本を中心とする守備陣のテーブル。どちらにも属さない中村、遠藤らのテーブル。そして中田の姿はといえば、どこにもない。彼は、他の選手が食事を終えるころに姿を現す。

日本代表が本番を迎えてボンに乗り込むころには、中田と他のメンバーだけではなく、チーム内はいたるところに亀裂が走っていた。

海外組と国内組
黄金世代と中田英寿
先発組とサブ組
攻撃陣と守備陣

もちろんこうしたチーム内の溝は日本代表に限ったことではない。大なり小なり、どのチームにも起こりうる。でもこのチームには、いくつもの亀裂を埋める強力なリーダーシップが不在だった上に、ジーコ監督も選手の自主性にまかせて口を出さなかったため、最後までチームがひとつにまとまることがなかった。

ほかに、金子達仁がオーストラリア代表監督だったヒディンクにインタビューした章も興味深い。現ロシア代表監督として多忙な彼は、最初とりつく島もない態度だったのが、質問に答えるうちに言葉が徐々に熱を帯びてくる。金子は問う。オーストラリア戦、あなたが日本の監督だったら?

「オーストラリアを相手にするならば、ブリティッシュ・スタイルの強力な3人シフトのディフェンスに対して2人のストライカーを持ってくるなんてことはしちゃダメなんだ。私だったらストライカーを1人にしてサイドから攻めるだろう。だから、相手の強いところ、弱いところを把握して、それに応じて方針を考えないといけなかったんだ。日本は2人のストライカーの布陣だっただろう? それを見たときは『やったぜ!』って感じだったね」

あるいは、引き分けたクロアチア戦を、クロアチアとドイツのテレビ中継をもとに再現した章がある。解説者リトバルスキーのコメントは、日本のテレビからは決して伝わってこない類の言葉に満ちている。

「中村も中田もフリーな状態ではないために、自信がなく、逃げのパスばかりです。このようなプレーはつまらないし、これではゴールチャンスは生まれない」

「宮本が1対1での競り合いでは十分な力を備えていないことが、ここでまた証明されました」(宮本、反則でPKを与える)

「あのボールをゴールできなければ、ゲームには勝てません」(柳沢、絶好のシュート・チャンスをはずす)

「日本は、私の考えでは、相手をあまりにリスペクトし過ぎている、恐れを抱いている部分がありますね」

「両チームの激しいぶつかり合いがこのゲームではまったく見られない。日本の選手には闘う姿勢がないんです」

チーム内では予選リーグに入ってなおDFラインをめぐって意見が食い違っていた。そのことは、当時、新聞やテレビでも報道されていた。高原、中田ら攻撃陣はDFラインを高く上げることを求めた。キャプテン宮本は、むやみにラインを上げられないと主張した。これは「リスクを負って勝負するか」「リスクを避けて勝負するか」という戦術の選択で、どちらが正しいという問題ではない。

チーム状態と相手に応じてしかるべき解答が出るはずのDFラインの高さをめぐって、選手間の人間関係の溝がからんで、事態は誰も望まない方向へと進んでいってしまう。意見が統一されないまま本選に突入し、結局、ジーコ監督からは最終ブラジル戦の直前まで、なんの指示もなかった。

それはジーコが選手を信頼し、その自主性にまかせたということなのだろう。でも木崎伸也はUEFAカップ優勝監督のこんなコメントを紹介している。

「どこからプレスをかけるか。ラインの高さをどこに設定するか。そういうチームの勝敗を左右するディテールを決断するのが、監督の仕事だと思っている」

最後の「敗因と」の章で金子達仁は、こんな疑問を投げかけている。
なぜ、日本の選手たちはあんなにも戦っていないように見えたのか?
なぜドイツでの日本代表の戦いは、あんなにも胸に響かなかったのか?

金子は、敗因はひとつではない、いくつもの敗因を指摘できる、でも胸を打つゲームができなかった原因ははっきりしている、それは目標と負荷がなかったことによる、と言う。

「大きな目標は、大きな負荷を生む。大きな負荷がかかることで、選手たちは目標を達成するために死力を尽くす。その『死力を尽くす』という姿勢が、勝敗を超えて観る人々の感動を呼ぶ」

ジーコは選手たちに負荷をかけなかった。川淵チェアマンはジーコに負荷をかけなかった。メディアもまた協会とチームに負荷をかけなかった。とどのつまり日本のファン全体が「まあ予選リーグを突破できれば」程度の漠然とした期待を抱いたままで、日本代表にしかるべき負荷をかけることをしなかった。

根拠のない過大な期待も困るけれど、国民レベルである適当な目標を設定し(ジーコは外国の報道陣に「ベスト4を目指す」と語っている)、チームにそれに見合う負荷をかけることが、選手たちに戦う姿勢を生み出す。代表チームはチーム単独で戦うのではなく、協会やメディアや国民のレベルに応じた戦いしかできないのだ。

「2006年、日本人はスイッチを押さなかった」
「戦えなかったのは、必然だったのである」

ここまできて初めて、この本のタイトル『敗因と』につけられた「と」の意味がおぼろげながら浮かびあがってくる。ドイツ大会の敗因については、本書以外にもさまざまな分析が提出されている。本書も含めて、それぞれに納得できるものだろう。でも今大会は敗因以上に(あるいは以前に)、戦う姿勢がなかったことこそが問題だった。

「と」の後にくるものを代表チーム、監督、協会、そしてファン全体で突きつめないと、オシム・ジャパンがまた同じ過ちを犯す羽目に陥らない保証はない。(雄)