今月の本棚

「アメリカの原理主義」

河野博子著
集英社新書(224p)2006.7.19

680円+税
9.11からイラク戦争と中東全域の緊張という泥沼に足を突っ込んだ21世紀最初の5年間をひとことで要約すれば、過激化したイスラム原理主義に対抗してアメリカの原理主義が露わになった時代と言えるかもしれない。

著者の河野博子は新聞社のアメリカ特派員として9.11をはさむ9年間をアメリカで過ごしたが、その間に「社会の座標軸がズズッと右にずれたような変化」を体験したと言う。そんな社会全体の保守化の底には「アメリカの原理主義」がある。この本は、その実態をさまざまなインタビューや取材から明らかにしている。

もともとアメリカで「原理主義」という言葉が使われはじめたのは1920年代。学校教育で子供たちにダーウィンの進化論を教えることに対し、聖書に書かれていることは歴史的にも科学的にも正しいとして、キリスト教の「原理」から進化論に反対する運動のことを指していた。

その場合のキリスト教の「原理」とは、「万物は神がつくった」のであり、「キリストは処女だったマリアから生まれ」「天国と地獄は本当に存在し」「キリストの復活・再臨は必ずある」といったことがら。

キリスト教が根づいていない日本ではなかなか実感できないけれど、アメリカでは現在でも人々の8割が「キリストは処女マリアから、人間を父親とせずに生まれた」と信じ、5割以上が「聖書の記述はすべて実際に起こったこと」と考えている(『ニューズウィーク』誌の2004年の世論調査)。

そんな数字を見ると、メイフラワー号で新大陸に渡ってきたピューリタンの信仰が、いまもなお人々の心のなかに深々と生きているのがわかる。

とはいっても21世紀の「アメリカの原理主義」は1920年代の原理主義そのままではない。時代の動きに応じて変化し、地道に草の根運動を組織して、1990年代後半には政治を動かす一大勢力にまで成長した。

著者によれば、「アメリカの原理主義」には大きく分けて3つのグループがある。爆破事件や放火事件を起こし自前の軍隊組織をもつ極右。ブッシュ政権に入り込んだネオコン。そしていちばん大きな影響力をもっているのが、共和党を牛耳るまでになった宗教右派。

オクラホマシティー連邦ビル爆破事件などを起こした極右は「反連邦」「反グローバリズム」「反銃規制」を主張するが、同時に「反ユダヤ」「白人優越主義」も唱える。支持者は白人貧困層。映画『8miles』で彼らプア・ホワイトは「white trash(ごみ)」などと呼ばれていたが、社会の底辺に追いやられた白人層のなかから暴力的な極右が生まれてくる。

一方、ブッシュ政権の対テロ戦争、イラク戦争を主導したネオコンは東部の知識人集団。国連などの国際機関を信頼せず、アメリカ型民主主義を世界に広め、専制国家を民主化するのがアメリカの使命だと考え、そのために軍事力を使うこともいとわない。

アメリカの伝統的保守は歴史的に他国に干渉しない孤立主義を取ってきたけれど、ネオコンは主流からはずれた対外的な過激派ということになる。ネオコンには元左翼も多いから、「革命の輸出」にかわる「民主主義の輸出」に積極的なのは身についた体質かもしれない。

もうひとつの「原理主義」勢力である宗教右派は、極右やネオコンとも共通した考え方を持ちながら、「聖書を絶対視する頑迷な人々」という過去のイメージや極右の「反ユダヤ」「白人優越主義」を克服して、「現代の広い層に受け入れられるよう発展してきた」と著者は言う。2004年にブッシュが再選されたのは、南部・中西部・西部で宗教右派が勢力を増し、その票の掘り起こしに成功したことが大きな要因になっている。

アメリカ成人人口のうちキリスト教徒は約8割。そのうち約6割がプロテスタントで、2割がカトリック。残りの1割がユダヤ教・イスラム教など諸宗教で、1割は無宗教層だと言われる(2003年の調査)。

プロテスタントには大きく分けて主流派と福音派(Evangelicals)があるが、宗教右派という場合には福音派を意味し、それは成人人口の25パーセントを占める。最大の教派は南部バプティスト連盟。1970年代後半から大きく勢力を伸ばし、「中絶」「同性結婚」「性教育」「家族の価値」などをめぐる草の根運動を組織してリベラル派と対立し、従来の保守穏健派に代わって共和党の中枢をにぎるまでになった。

宗教右派のいちばんの有名人は「キリスト教放送網」のキャスターとして人気の牧師、パット・ロバートソンだが、著者はロバートソンのこんな言葉を紹介している。

「今や絹の靴下をはいたエリートやウォールストリートの金持ちといえば、民主党のほうが多い。われわれ福音派信者は工場労働者、農民、中小企業経営者、主婦など普通のアメリカ人だ」

こうした一般のアメリカ人の心理には「アメリカ例外論」と言われる考え方が色濃く影を落としている、というイギリスの歴史研究者の見方を著者は紹介している。

「アメリカ例外論」とは、「アメリカは特別な国で、神の使命を帯びてその力を使い、世界中のほかの地域、幸少ない人々にアメリカシステムによる繁栄の便益をもたらす責任がある」という考え方だ。
 
その「アメリカ例外論」の背後には、言うまでもなくアメリカに植民したピューリタンたちの、「われわれは新世界に理想の国をつくる神の使命をになっている」という考え方がある。9.11はそうした「特別の国」の「神の使命」に対するあからさまな挑戦だったから、アメリカ人の心の底にある建国理念を呼び覚ますことになった。

こんなふうに著者が紹介する宗教右派の思想と行動を見てくると、アメリカの保守とリベラルの対立は単に政治的な次元ではなく、「神が定めた絶対的な真実や善悪がある」と信じるか、「何が真実で何が善悪かの判断は個人の意思にまかせる」という価値観の次元での対立であることがわかる。

同時にまた、こうした「原理主義」が多くの人々の心のうちに残っていることから、アメリカ合衆国が世界史のなかで飛びぬけて若く新しい、それだけに過激なキリスト教国であることにも改めて気づく。

イスラムとキリスト教の原理主義の対立というのは「文明の衝突」の構図そのものだけれど、21世紀をそれぞれの神の暴力が支配する時代に逆戻りさせてしまっては、僕たちは20世紀後半をなにをして過ごしてきたのかと問われることになる。(雄)